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京都大学基金

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Vol.1


永守 重信さん NAGAMORI SHIGENOBU 1944 年、京都府生まれ。1967 年職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科卒業。ティアック、山科精器を経て、1973年に28歳で日本電産を設立し、代表取締役に就任。
世界No.1の総合モーターメーカーである日本電産株式会社。
創業者・永守重信代表取締役会長兼社長は、創業からわずか42年で、2014年度売上高を1 兆円の規模まで育て上げた。
精密小型モーター、車載用、家電・商業・産業用など、創業以来、一貫してモーターにこだわってきた。積極的なM&Aで急成長を牽引してきたが、それはつねにモーターという本業におけるシナジーを期待できる M&A であった。
2012年にモーター基礎技術研究所を開設、2014年にモーター技術者の表彰制度「永守賞」を創設するなど、モーターへの取り組みを深掘りすることに余念がない。2016年には企業内大学校の開設を予定しており、リーダー養成にも注力している。
売上高1兆円は通過点として、「2030 年度売上高10兆円」という大ボラを夢に変えるべく“全力疾走”中だ。100年後もなくてはならぬ企業であるために―。
カリスマ最強経営者の呼び声も高い永守会長には、2014年10月の山極壽一京都大学総長の就任後、総長顧問を務めていただいている。今回、永守会長と山極総長の対談が清風荘にて実現。経営哲学から、苦言・提言を交えた京都大学や京大生へのメッセージをいただいた。


「母親を大事にする経営者は失敗しない」
母に教わった“全力疾走”


山極 永守会長は京都のお生まれで、6人兄弟の末っ子だそうですね。取材記事などを拝見すると、お母様のお話がよく登場します。
永守 私は母親が40代の時に産まれたので、かわいがられました。でも、いわゆる猫かわいがりではなく、厳しい愛情で接してくれましたね。母は明治の女性で芯が強く、負けず嫌い。けんかで負けて泣いて帰ってくると、もう1回やり直してこいと追い立てるような人でした。
1973年に私が28歳で会社をつくると決めた時、母には「そんな危ないことはやめてくれ」と言われたのですが、最後は「人の倍働く」という条件付きで認めてくれました。人の倍働いて成功しないはずがない、というのが母の教え。幼い頃、母親が眠っている姿を見たことがなく、自ら懸命に働く姿を示してくれていました。当社の“全力疾走”の社風も、母との約束が根底にあります。
山極 以前、ある会議で「母親を大事にする経営者は失敗しない」と会長がおっしゃった言葉が印象に残っています。
永守 企業のトップは実は孤独。頼れるものがないから、母親の言葉が大きな心の支えになります。母が亡くなる1週間前、昼間に見舞いに行ったら、「こんな時間に何をしているんだ」と叱られました。多くの従業員を抱えて、母親のために仕事を滞らせてはいけない、と。それくらいの気持ちで働かなければ成功しないと、死の間際まで教えてくれたのでしょう。


「一番」にこだわって
つねにさらに高い頂上を目指す


山極 御社の経営基本理念として「一番へのこだわり」を掲げ、会長自身、一番以外はビリと同じだともおっしゃっています。それもお母様の影響があるのでしょうか。
永守 「一番にこだわりなさい」というのが母親の口癖でした。学校に登校するのも一番、銭湯で靴をしまうのも一番札のところ、といった具合です。
山極 「一番」を目指すのは大切なことです。学生にもつねに意識してほしいと思っています。
永守 当社の研究者や技術者には、今は一番でもダメ、世界シェア7~8割の“圧勝”じゃないとダメなんだと言っています。良さも苦しさも、一番にならないことにはわかりませんから。
山極 二番や三番は一番になることが目標ですが、一番になると別の目標を見つけないといけない。これは大きな違いです。
一番へのこだわりは、お母様の影響があるでしょうが、京都という土地柄もそれに拍車をかけたのではありませんか? 京都は世界を相手にしているという気概を持つ人が多いですから。
永守 それはあると思います。つねに相手から学べる人と付き合うようにしてきましたし、現状に満足することなく、さらに高い山を目指してきました。高くなればなるほどしんどいし、トレーニングも必要になる。切磋琢磨あるのみです。
山極 霊長類学の先駆者である今西錦司先生は、京都大学学士山岳会を創設されたのですが、その精神は「初登頂」。未踏峰の頂に足をつけることを目指すのが、アルピニストの精神だと言い続けていました。
永守 研究から製品開発まで、すべてにつながる精神ですね。人がやらないことをやる。それこそ京大の精神でしょう。だから、ノーベル賞受賞者も数多く輩出されている。
山極 追随しないのは難しいことであり、苦難も多いのですが、そうしないと新しい世界は拓けません。
永守 でも、そういう学風なのに、京大生がベンチャーを興したという話を聞きませんね。就職も大手志向の学生がほとんどです。
山極 残念ながら、その通りです。


ベンチャーを妨げるのは
母親、パートナー、そして仕組み


永守 アメリカの有名大学では、上位10人くらいの学生がベンチャーを興し、それ以下の学生が大企業に就職する。日本とは逆です。
私が起業した頃、母親は周囲から「危ないことをさせている」と言われ、近所の息子さんはメジャーな企業に勤めていて、「すばらしい会社に勤めている」と言われていました。これが日本における一般的な社会的評価です。
山極 京大生が野心に乏しく大手志向になる理由として、「母親の影響」が指摘されます。せっかく京大に入学したのだから、安定した職場に就くよう母親から言われる学生も多いんです。目的意識を共有できるパートナーが減っていることも挙げられます。
永守 当社も、「日本電産なんて知らないから、別の会社に就職しなさい」と母親が言った例があります。
山極 仕組みも違いますね。アメリカはベンチャーを目指す人への支援制度が充実しています。
永守 失敗が許される土壌があって、再チャレンジする機会を得やすい。日本でも国がベンチャー設立を支援し、資金調達に関するシステムも変わったとはいえ、まだハードルは高いです。ベンチャーキャピタルもありますが、創業から数年間がもっともお金がかかる時期なのに、そこに対する支援は薄い。

リーダーのなすべきことは
従業員のやる気を最大限に引き出すこと


山極 御社はM&Aを中核戦略として成長を遂げてこられましたが、合併・買収においては、特別な手腕が必要なのでしょうか。
永守 企業再建は、もっとも経営力を養える仕事です。赤字となり、従業員の士気もモラルも低下している企業を立て直すのですから。しかも、当社の場合は誰一人リストラをしません。能力は2倍にすら引き延ばすのが難しいけれど、やる気は100倍にもなる。毎年100億円の赤字を出していた企業が、わずか1年で、過去最高利益を出したこともありました。いかに従業員のやる気を引き出すかが、経営のかなめ。リーダーが変われば、従業員の意識も会社も生まれ変わります。
山極 個人の能力だけでは組織は育たないわけですから、リーダーには、個々の能力を見抜き、それらをどう合わせて何をなすかを発案する能力が必要になりますね。京大生は将来、さまざまな分野でリーダーとなることが託されていますから、その力の涵養こそ、本学が果たすべき役割と言えましょう。

グローバル展開に必要なものは
技術力と夢を語れること


山極 会社を創業して成長させる過程において、重要なステップの一つがグローバル展開ですね。
永守 実は、当社の最初の顧客はアメリカの会社です。起業して日本の会社を訪問すると、私の年齢や創業年数や従業員数しか聞かれず、実績がないと門前払いでした。それで、アメリカに出て行きました。アメリカの場合は、どんなメリットを与えてくれるのか、ということしか聞きません。当時からアメリカはベンチャーの盛んな国で、良い製品さえ持って行けば受け入れてくれる素地がありました。
逆に言えば、技術にしろ何にしろ、世界に通用するものを持っていないと話にならない、ということです。
山極 それは学問の世界にもあてはまります。本学が世界展開を図るうえでの基準の一つが、国際学会の会長を多く輩出することです。大半を占める欧米人研究者に対して、学会運営をするにあたっては、必要なことが二つあります。一つは尊敬される実績、もう一つが構想です。学会の将来に対する魅力的なプランを示せなければ、誰もついてはきません。
永守 大切なことです。私は買収企業に行って、最初にこう言います。「1年間だけ、だまされたつもりで私について来てほしい」。そのうえで、1年後のビジョンを語ります。経営者は夢を語り、夢を形にするのが仕事です。

産業の第 3 のコメになるモーター
ものづくり分野の人材育成が急務


山極 2014 年にモーター技術者の表彰制度である永守賞を創設され、2015年8月には、日本人3人、外国人3人が表彰されました。
永守 産業界の中心は1980年までは鉄、その後は半導体でしたが、2020年以降はモーターが産業の第 3 のコメになると考えています。実は、世界の電力需要の半分以上をモーターが消費しており、モーターを省エネ化すれば効果は絶大です。環境問題、資源問題に一役担える可能性がある。それなのにモーター研究者は減少し続け、世界の大学でもモーターの講座がなくなっています。肝心かなめのハード、つまりものづくり分野に人が集まらない現状に対し、 手をこまねいていられないという思いから始めた取り組みです。
山極 今の日本は、ハード推進の原動力である「技術に対する信頼」が揺らいでいます。私が子どもの頃は、トランジスタラジオを自分であれこれ工夫して組み立てるといった体験を通して、技術に対する憧れや信頼が醸成されたものです。今や、技術は自分でつくり出すものでなくなってしまいました。
永守 ものづくり軽視は大きな問題。ハードにも魅力的な世界があることを知ってほしい。
山極 本学は3分の1の学生が工学部ですから、ものづくりへの憧れや、技術で世界を変えるという野心を大きく育てたいと思います。一つの処方箋と考えているのが、社会人の学び直しです。アメリカでは社会人大学生が20~30%を占めますが、日本は2%にも満たない。若者がうかうかしていると技術も何もかも追い抜かれてしまう、といった競争的環境をつくりたいと考えています。

起業家の輩出が大学の価値を高める

永守 日本では、技術者のままで終わる人が多く、技術のわかる経営者がいない。日本の企業経営が弱体化している理由の一つだと思いま す。アメリカの場合、10年ほど企業に勤めた技術者がビジネススクールに通って MBA を取得し、経営の世界に参入するケースが多くあります。ベンチャーを興すのは若い人に限らず、40代の人もどんどんチャレンジしています。
山極 自分の分野を絞り込まず、広げていくのですね。両方を知ることが、結果的に社員の信頼を得ることになりますね。
永守 そうした人材づくりにおいて、大学の果たす役割は大きい。一方で、学生や卒業生に起業家が増え、実業界の中で幅広いネットワークを築いていくようになれば、世界中から学生が集まり、大学の価値、ひいては大学のランキングも高まるはずです。海外では多くの成功した起業家が母校に多額の寄付をしていることを考えれば、日本の大学もそこは注力すべきでしょう。

京都や京都企業のことを知り、
地元で活躍する人材や偉大な事業者の輩出を


永守 京大に対して残念だと思っていることが 二つあるんです。
一つは、卒業生が興した会社で、兆円規模の売上の会社がほとんどなく、実業界に目を引く人がいないこと。企業の最大の社会貢献は雇用創出であり、これは非常に重要なことです。世界に冠たる大学には、世界に冠たる“企業をつくれる人材”も育ててほしい。
もう一つは、京都企業に就職する京大卒業生が少ないこと。京都には優良企業がたくさんあるにもかかわらず、です。多くの卒業生が京都企業で活躍し、あるいは、京都で起業する。これこそあるべき姿であり、最大の地元貢献になるわけですから。
山極 京都や京都企業のことを知らない京大生が多いのは、我々も危惧しています。そこで、私は京都を丸ごと大学のキャンパスとみなして地域・社会と共生していく「京都・大学キャンパス計画」を推進し、行政・経済界・他大学等と連携強化しながら、学生たちと京都との間をつなげたいと考えています。これからは全くの異分野からの発想を事業に生かせる可能性が高く、多様な文化や考え方と接することができる京都で学べることそのものが強みなのですから。
永守 インターンシップも有効ですね。就業体験をすることで京都企業の強みを実感し、地元に残る学生が増えてくれればと思います。

刺激あふれる環境の中で自らの可能性を見つけ、
さらなる高みを目指して挑戦しよう


永守 ベンチャーを興す学生が少ないのは、先ほど話に出ましたが、社会的評価や母親やパートナーの影響、あるいは支援制度の問題など、いくつか理由があります。でも、もっとも肝心なのは若者の意識です。昨年、京都大学の講義で1コマ話しましたが、積極的に質問をするのは留学生ばかりでしたよ。
山極 そうなんです。そのため、野心的な留学生を増やして、日本人学生の意識を高めることが必要だと考えています。
永守 昔、社会人としてハーバード大学に留学した人が、「卒業したら勤め先に戻って働く」と話して、同級生にバカにされたそうです。皆、会社をつくるために学びに来ているんだ、と。それで彼も帰国後、退職して会社を興しました。そうやって環境や仲間に刺激を受けることは大いにあることです。
山極 あと大切なのは、自分はいろいろな可能性を持っていると気づくこと。新しい世界に飛び込んで自分を試し、感動や発見をする、という体験をしてもらいたいですね。
永守 成功体験を積むと自信が持てるようになり、さらに上を目指すようになります。制度やら意識やら改革すべきことは多いですが、いずれにせよ、山極総長の在任中に変化を起こしてもらえることを期待しています。
山極 ありがとうございます。ご期待に添えるよう、こちらも“全力疾走”してまいります。

(対談日:2015年9月)

清風荘

清風荘は西園寺公望の京都私邸として住友家が明治末~大正時代に建設したもので、京都帝国大学創設に際し公望が文部大臣として支援したことを偲び、1944(昭和19)年に京都帝国大学に寄贈された。設計は住友家出入りの二代八木甚兵衛、庭園は七代小川治兵衛が担当した。端正な意匠の数寄屋建築と、やわらかな起伏の中に豊かな水の表情を見せる庭園が、私邸らしい落ち着いた空間をつくり出している。庭園は1951(昭和26)年に名勝、清風荘は2012(平成24)年に重要文化財(建造物)に指定されている。
※一般には非公開