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京都大学基金

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Vol.8


鷲田 清一さん
WASHIDA KIYOKAZU 1949年京都市生まれ。1972年京都大学文学部哲学科卒業。1977年同文学研究科哲学専攻博士課程単位取得満期退学。
関西大学教授、大阪大学教授を経て2007年大阪大学第16代総長。2011年退任、名誉教授。同年、大谷大学教授(現在は客員教授)。2013年せんだいメディアテーク館長。2015年より京都市立芸術大学理事長・学長。
専門分野である臨床哲学・倫理学の視点からアート、ファッション、教育、労働、ケアなどさまざまな分野において数多くの評論・執筆活動を行う。
受賞歴は1989年第10回サントリー学芸賞『分散する理性』『モードの迷宮』、2000年第3回桑原武夫学芸賞『「聴く」ことの力』、2004年紫綬褒章、2012年第63回読売文学賞『「ぐずぐず」の理由』。
オルタナティブを提示できる力は
芸術教育の中で培われる
山極 関西大学、大阪大学、大谷大学と3大学を経て、初めて芸術大学の学長に就任されました。京都市立芸術大学は日本最古の芸術大学ですね。
鷲田 ええ。日本初の公立の絵画専門学校として、1880(明治13)年に開設された京都府画学校が母体となります。以来137年、日本の近現代芸術の屋台骨となり、世界的にも評価されるアーティストを数多く送り出してきました。
実は、京都は日本で初めて学区制の小学校が誕生した町。明治初期、町衆が私財を投じてわずか半年余りで64校を開きました。京都市民の底力や先見性を感じます。明治維新による東京への人材流失の危機を、人材を育成し文芸を磨くことで乗り切ろうとしたのです。
山極 京都が文化芸術の集積地であるのは、歴史の積み重ねだけでなく市民の気概にもよるわけですね。現在も、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた文化プログラムが推進される中、京都には文化や芸術の総合力を示す役割が強く求められています。
京都大学は今年、指定国立大学法人に指定されましたが、文部科学省から「人文・社会科学系の学問の牽引」というミッションを与えられたのも、その流れの一環だと、私なりに解釈しています。貴学は京都の芸術の先端を走ってきた大学として、今後のミッションをどう考えていますか。
鷲田 芸術分野の未来の人材を輩出する使命は、今後も変わらず全うするのみです。ただ、もっと大きな視点で考えると、芸術教育というのは、文化芸術の発展を担うだけではなく、高等教育のコアとなるべきだと考えています。
山極 芸術はリベラルアーツ(教養教育)だ、と。なぜ、そう思われるのでしょうか。
鷲田 日本は今、右肩下がりの縮小社会へと向かっています。もはや経済成長はあり得ない。世界に目を向ければ、地球規模の環境悪化、民族間・宗教間対立の激化など、問題は山積している。現在の負荷がつけ回しにされていて、将来世代には「どう生き延びるか」というテーマが重くのしかかっています。さらに多文化社会となり、共有できる価値観や目標を描きにくくなっている。
こんな時代に本当に必要な知とは、問題解決に対してオルタナティブ(代案)を示したり、最終的に「これしかない」という解を見いだせる力ではないでしょうか。
山極 なるほど。それには、社会をありのままに捉えて疑問を持ち、実社会から距離を置いて違う発想をすることが必要になりますが、芸術教育によってできるようになると?
鷲田 そもそも、芸術的創造活動というのは、「駄々をこねる」というのでしょうか、世界はこんなものであるはずがない、あるいは、こんなのは嫌だというプリミティブな感覚、自分がスムーズに溶け合えないような「違和感」が出発点にあるものです。
この思いを大切にし、違和感のままで留めるのではなく、枠にはまらない独自の発想力で「やはりこうあるべきだ」という一つの異論へと育て、表現へと高めていくのが創造活動です。
京大と京都芸大に共通するマインドは
“おもろい”発想で“とことん”やること

鷲田 芸術教育について、実は京大の教育と似ていると感じることが2つあります。
山極 どういう点でしょうか。
鷲田 一つは、発想のおもしろさやプロセスを大事にする点です。
山極 京大にとっておもしろさは、非常に重要なことです。“おもろい”を冠したイベントや取り組みも多く実施していて、「おもろいことを楽しめる」精神を育てることを目指しています。
鷲田 私が京大生の頃、仏文学者の桑原武夫先生の「できるヤツには関心はない。おもろいか、おもろくないかが大事なんだ」という言葉が、伝説のように語り継がれていたものです。
実は、プロセスを大切にする点について、似ていると感じるのは入試です。今は知りませんが、私が京大を受験した時の数学の試験はとても難しくて、落ちたと思ったら、そこそこの点数だったんです。数学者の森毅先生によれば、「答えより考え方を見るんだ」と。下書きも回収し、消しゴムで消した跡までチェックして、考え方の筋が通っていたり、ユニークな発想で解いていたら点数をくれる。
山極 それは今も変わりません。ですから、数学の採点には時間がかかるんです。
鷲田 京都芸大の入試でも、立体制作の課題に対して、問いから解釈までのプロセスを見ます。作品を評価する際、先生たちは「こうきたか!」とうれしそうにしています。
山極 もう一つは何でしょう。
鷲田 “とことん”やるという点です。山極総長自身、一頭のゴリラを何日も追いかけ、糞まで調べる徹底ぶりですよね。今は、ある程度のデータが集まれば、すぐに論文にまとめるという風潮がありますが。
山極 最初はデータすら採取せず、そこに身を置き、ただただ眺める。先入観も仮説も持たず、入ってくる情報をすべて受け止める。思考をまとめるのに必要な作業なんです。
鷲田 効率的ではないけれど、どんな細部もおろそかにせず究めていく。
芸大生も徹底的に“わざ”を修練しつつ、制作にあたってはじっくり思索を行います。学生を見ていると、制作に取りかかるまで何時間も何日も思索にふけり、筆をとってはまた置き、考える。その繰り返しです。
山極 発想だけではダメで、とことん突き詰めなければならない。そして、それを支えるのが“わざ”だということですね。
鷲田 サイエンスとアート、領域は違っても響き合うものがあり、マインドは似ているのだと思います。
WILD とNOBLE を
大切にすることも共通点の一つ
鷲田 総長のゴリラ研究の話が出ましたが、フィールドワークは京大の伝統ですよね。WI NDOW構想の標語にある「WILD」はまさにフィールドワークがベースにあって、現場に自分の足で立ち、目で見て、感覚を全開放しないと本当の知は身につかないんだ、というメッセージを感じました。
もう一つ、標語の中でそそられたのが「NOBLE」でした。人にしろ自然や動物にしろ、自分とは異質なもの、自分を超えたものに対して寛容で、謙虚で、尊重できる感覚だと、私は理解しています。
山極 私が2つの言葉を考えたのは、霊長類学のパイオニアである今西錦司先生と恩師である伊谷純一郎先生から学んだことが頭にあったからです。おふたりの研究対象は「自然」ですが、対象を知ろうとする時、力ずくで切り拓こう、征服しようとしても真理は見極められない。対象世界に調和し、論理を守り、折り合い、待つ心が必要だ、という教え。サイエンスでもアートでも、対象への向き合い方が重要なのだと思います。
鷲田 2つとも、特にNOBLE は芸術を学ぶ者にとって欠かせない感性であり、そこもまた似ていると感じるところです。

予測のつかない世の中で
本当に必要な知は何か

鷲田 今は時代の転換点に立っていて、課題は多く、予測が難しい時代です。従来、世の中は予測通りに動くことをよしとして、国や企業は5カ年計画や中期計画で今からイメージできる目標を設定して、達成度で評価してきました。
しかし、既存の枠では対応できない想定外のことや理解不可能なことが起こってくるでしょう。その時に必要なのは、山極総長もおっしゃった「折り合いをつける力」だと思います。そこでまた、サイエンスとアートが生きてくる。どちらも予想通りにいかないものですから。構想したままにできた作品はおもしろくないし、だいたいが最終着地点もわからないまま試行錯誤するのがアートです。サイエンスだって、失敗した実験からディープな発見がある。“役に立つ”ことを尺度にしたらまったく評価されないことをやり続け、さまざまなものに折り合いをつけることで、新たな発見、表現につながっていくものです。
山極 今西先生、伊谷先生の教えでは、想定外のことに対してどう振る舞えばいいかを決めるのは「直観力」だそうです。
今西先生は「縮尺の法則」という独自理論の中で、自然との対話を通じて、植物や虫など自分とは違う生物の目と発想で物事を捉えることが必要だと説いています。結局のところ、フィールドワークやNOBLE な感性に裏打ちされた独自の発想や直観がなければ、これからの時代を生き抜けないのかもしれません。
鷲田 本来、大学は贅沢なところで、縮尺は伸縮自在で極大から極小までそろっています。宇宙を研究する人から3000 年前の思想を研究する人までいる。いろいろな縮尺を持った人がいるから、過去の事例をもとに、論理的に可能なオルタナティブを提示できるのでしょう。

京都アカデミアフォーラムは
京都の息吹を伝える窓口
山極 2017 年7 月、京都大学東京オフィスの隣接スペースに京都アカデミアフォーラムを開設しました。京都府下のパートナー大学とともに、京都の文化・芸術・科学について情報発信を行っていきます。
鷲田 本学をはじめ芸術系大学がいくつか参加していることがポイントですよね。
山極 アートもサイエンスも問わず、“おもろい”とはどういうことか投げかけてみたいと思っています。
鷲田 東京で“おもろい”ですか。
山極 本学で行っている「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」や「京大変人講座」のようなイベントをやってみたい。前者は2017年3月で終了しましたが、アートの発想を取り入れて、新しく生まれ変わろうというコンセプトのもとに始めたもので、外部のアーティストと本学教員とのトークセッションを行いました。4月から始めた後者は、本学の“変な”教員を登場させ、コメディアンが突っ込むというトークショーです。
鷲田 こういう“おもろい”があるんだぞ、と。
山極 変人講座を実施して思ったのは、世間が期待する変人というのは「常識的」な変人ということ。当人が自分を変人だと思っていなくても、こだわりを持ってとことん突き詰めている姿は、だんだん常識から外れていくからおもしろくて、常識人からすると変人に見える。これが私たちの考える変人です。変人とおもろいということは、100%近く重なっているんです。
東京のように企業中心の都市論理が幅をきかせる場所では、突き抜けたことや変わったことはやりにくく、閉塞感につながってしまう。
鷲田 でも、京都は変人たちが生きていける、恵まれた町です。
山極 こんな京都の息吹を、東京にも持ち込みたい。自由に発想を遊ばせながら、楽しく対話できる場所にしたいと思っています。

芸術は神棚に飾っておくものではなく
暮らしの中にある営み

山極 京都芸大は2023年にJR京都駅東の崇仁地区に全面移転されますね。
鷲田 現在のキャンパスは制作の場としては非常に快適な場所。手狭できちんとエリア分けされておらず、陶芸と彫刻を専攻する学生が隣同士で作業をしたりしていて、刺激になっているようです。
他方で、アーティストを目指す人は、もっと世の中に“もまれる”ほうがいいのかもしれないとも思います。崇仁地区は京都駅近くで、観光客などいろいろな人が入り混じっています。
山極 多様な文化と接することができる絶好の場所ですね。
鷲田 同時に、都市内高齢化・過疎化の典型的な場所でもあり、地区の小学校は入学生が2人といった状況で、近所には空き家も多い。そういう今の社会のありように直に触れることは、芸大生にとって意味のあることです。なぜなら、芸術は神棚に飾っておくものではなく、暮らしの中にある営みですから。
まもなくキャンパスの設計段階に入りますが、学生同士だけでなく住民も観光客も気軽に立ち寄れる大学にするとともに、周囲の空き家を有効活用しながら、町の活性化にも貢献したいと考えています。
山極 例えばどんなことを?
鷲田 空き家を学生が共同生活する場所、あるいは自立まで時間のかかる卒業生たちが、制作したり作品を収納したりできる場所にする。学生にもどんどん町に出かけさせ、住民とつながりをつくり、町をかき混ぜさせたいですね。ハイソサエティな芸術の町ではなく、学生と町が一緒に成長できるような場所を目指します。
山極 私は総長になってすぐ、京都全体をキャンパス化する「京都・大学キャンパス計画」を掲げました。京大生は京都府外出身者が多いので、京都の奥深さを支えるアートな精神を持った人たちと触れ合うことで、京都の文化を知り、京都の“ おもろい” 発想に出会える。京都芸大の移転によって、より身近に接することができると期待しています。
鷲田 サイエンスやアートの発想で学んできた学生が、一緒に論文を書いたり作品をつくる。結果を求めるのではなく、プロセスを一緒に歩むことで、互いのメソッドが変わり発想が広がることがあるでしょう。そうしたことが日常的にできる場所をつくるためのプログラムを考えたいですね。
山極 学生が主役ですから、学生をうまく“ そそのかし” ながら、交流を深めていきましょう。本日はありがとうございました。

(開催日:2017年7月)
 新丸の内ビルディング10階にある京都大学東京オフィスの隣接スペースに「京都アカデミアフォーラム」を2017年7月3日に開設し、7月12日に開所式を行いました。本フォーラムは、京都府下のパートナー大学とともに、それぞれの持ち味を生かしながら京都の文化・芸術・科学について学術面から情報発信し、さらに京都の魅力や価値を高めることを目指します。
 開所式では山極総長が開会挨拶を行い、鷲田学長の乾杯挨拶により懇談会が開始され、国会議員や産業界など100名を超える出席者から期待の声が寄せられました。

2017年7月12日時点でのパートナー大学は下記の通りです。

京都外国語大学、京都光華女子大学、京都工芸繊維大学、京都女子大学、京都市立芸術大学、京都精華大学、京都橘大学、京都美術工芸大学、同志社女子大学、京都大学