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京都大学基金

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Vol.9


春田 真さん
HARUTA MAKOTO 1969年奈良県生まれ。1992年京都大学法学部卒業、住友銀行(現・三井住友銀行)に入行。2000年2月株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、同年9月に取締役、2008年7月常務取締役、2011年6月取締役会長に就任。DeNAの上場を主導するとともに横浜DeNAベイスターズの買収等M&Aを推進。2015年4月株式会社ベータカタリスト設立。2016年2月AIベンチャー・エクサインテリジェンス設立。
著書『黒子の流儀 DeNA 不格好経営の舞台裏』(KADOKAWA)

◆株式会社ベータカタリスト◆
2015年4月設立のベンチャー支援会社。医療やライフスタイル、AI、IoTなどの領域を中心にスタートアップへ投資するとともに経営に関わる。大企業や大学、ベンチャーの持つ技術のカーブアウト、コラボレーションによる事業創出も進める。

中川 政七さん
NAKAGAWA MASASHICHI 1974年奈良県生まれ。2000年に京都大学法学部卒業後、富士通に入社。2002年に実家である中川政七商店に入社し、常務取締役として「遊 中川」の直営店出店を始め、工芸をベースにしたSPA業態を確立する。2008年に十三代社長就任(2016年に中川政七を襲名)。新ブランド「中川政七商店」「日本市」などを立ち上げる。2009年業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。
著書『経営とデザインの幸せな関係』(日経BP社)など。

◆株式会社中川政七商店◆
1716年奈良晒の卸問屋として創業。1912年に製造も開始。1985年遊 中川 本店をオープン。丸の内KITTE、表参道、GINZA SIXなど全国に約50の直営店を展開。商品はロングセラーの「花ふきん」をはじめ、食器、靴下、衣類から園芸用品まで昔ながらの生活の知恵を生かした“暮らしの道具”がそろう。
自ら意思決定でき、
スピード感のある環境を求めて転職
中川 我々は共に転職経験者ですね。私は富士通から家業の中川政七商店に入社し、春田さんは住友銀行(現・三井住友銀行)、DeNAを経てベータカタリストを設立されました。最初の転職はどんな事情だったのですか。
春田 入行した年はバブル経済が崩壊した直後できついことも多かったですが、東京本部に異動してからは企画部門で新規事業の立ち上げなど、貴重な経験をさせてもらいました。でも、さくら銀行との合併が決まり、ちょうど30歳の節目の年齢だったので、外で別のチャレンジをしよう、と。自分で意思決定できる仕事がしたかったですし。
時代はITバブルで、インターネット世界への興味もあったものの、会社を立ち上げる大変さはわかっている。そこで、まずは既存のベンチャー企業に入ろうと考えていたところ、DeNAの創業者である南場智子さん(現・代表取締役会長)たちと出会い、転身を決断したわけです。
中川さんご自身は転職の際、小さい会社を探されたそうですが、そもそも家業を継ぐつもりはなかったのですか。
中川 親の仕事について、実はよく知りませんでした。継ぐよう言われたこともなく、就職の選択肢にありませんでした。
富士通では大企業ゆえの壁も感じていたので、スピード感があって成長している小さな会社を探していました。ちょうどその1年ほど前に家業が東京に初出店していたので、条件にぴったりでした。父親には業界の将来は明るくないからと、反対されましたが。
春田 お父様の本心は継いでほしかったのではないですか。
中川 作戦だったそうです。継げと言うと反発するから言わなかったと、あるテレビ番組でうれしそうに話していましたね。
こうして転職してから15年が経ちましたが、春田さんもDeNAに15年おられました。
春田 自分で起業する前に経験を積む程度の感覚だったのに、移籍して早々にITバブルが崩壊して大変な状態になりました。問題が起こっては対応することを繰り返し、なんとか上場も果たし、気がつけば15年も経っていました。
中川 “辞め時”の判断は?
春田 これも節目の40歳の時、会社が順調に成長してキリがついたと思って辞めると言ったのですが、引き留められました。
結局、残留して2013年から2015年まで米国サンフランシスコに駐在したのですが、自分 がいなくても会社は回っていく。それに、現地の人から「普通の人にはできない経験をしているのだから、それを生かして新しいことを始めたら」と言われ、駐在任期が終わる前に45歳になるし、今だな、と。「キリのよさ」を気にするタイプなので。

ビジョンは最初からありきではなく
必要に迫られてできるもの
春田 中川さんは家業に入られてから、さまざまな改革をされています。
中川 当時、工芸産業の業界規模はピーク時の3 分の1 に減少し、年に数社の中小メーカーが廃業の挨拶に来られていました。当社も厳しい状況で、卸問屋を続けても先細りが目に見えている。そこで、ブランディングによって商品価値を直接お客様に正しく伝えることが、工芸が生き残る道だと考えて、SPA(製造小売り)への業態転換を決断しました。年に数件のペースで出店して新ブランドを立ち上げ、メディアでも取り上げられるようになると、認知度は一気に高まりました。でも、SPA 業態の規模を大きくしても対応できるメーカーがなく、廃業のスピードは止まらない。
春田 それで、コンサルティング事業を始められたのですね。
中川 2007年に「日本の工芸を元気にする!」という企業ビジョンを明確化していたので、このビジョンのもと、自らの成功プロセスを工芸企業に導入しようと考えました。再生した企業の商品は、中川政七商店のショップに並べることで、商品ラインアップが増え、売り上げが伸びて業界全体が元気になります。
春田 壮大なビジョンですよね。
中川 工芸企業の廃業を食い止めたいという思いと同時に、自分を含め社員の働くモチベーションづくりの意味もありました。事業が軌道に乗ると「何のために働くのか」という疑問が出てくるものです。
春田 DeNAのビジョンは上場後、しばらく経ってから策定しましたが、社員が増えるにつれ、私たちの考えが伝わりにくくなると感じたからです。
中川 ビジョンは最初からありきではなく、必要に迫られてできるものなのでしょうね。
春田 そう思います。
中川 ビジョンを明確化したことで、「小さな和雑貨店」という認知から脱却でき、経営判断しやすくなったなどメリットは多いです。何より、歴史の長い会社では事業承継が課題ですが、そこで必要となる企業風土の醸成にとってもビジョンは欠かせないと思います。

「事業を巣立たせる」、「工芸の未来をつくる」
それぞれの今後のビジョン
中川 ベータカタリストのビジョンはユニークですね。
春田 いろいろな分野に興味があって、やりたい事業がたくさんあったけれど、一人でできるわけはありませんから、熱意のある人が事業を生み出せるようサポートしよう、という思いからスタートしました。事業をやりたいと思う人たちをつなぐ触媒(カタリスト)となって、イノベーションを生み出すための場をつくりたいと思っています。
我々は投資家ではなく、事業化集団を目指しているので、事業にも密接に関わり、自分たちで事業の立ち上げも行います。
中川 京都大学の研究者たちと共同設立したAIスタートアップの「エクサインテリジェンス」などでは代表を務められています。
春田 恒久的ではないですよ。私の経験やアイデアを伝えて、彼らがそれを咀嚼したうえで独り立ちし、自らの方法で会社を大きくしていってほしいですね。
中川 最近は起業家を目指す人が増えています。
春田 ただ、ビジネスにはチームが必要なのに、事業をやりたい人と一緒に頑張ろうというチームの数が増えていません。結果として、小さなベンチャーばかりになっている。そうした現状への問題意識もあって、積極的な経営統合を行っています。例えば、エクサインテリジェンスは介護領域でのAIの利活用を行ってきた会社と合併しました。
中川 そうやって大きなベンチャーにしていく。
春田 ええ。株式を公開する以上、株価を上げる努力は必要だし、指標となるのは時価総額です。20年前にできたヤフーが時価総額のトップを走っている状況は、やっぱりおかしい。新しいメガベンチャーをつくるべく、我々もチャレンジしたいと思います。
中川 私自身は春田さんと志向が違い、ハンズオン型でやりたい。将来、事業会社を4~5社つくって、すべてを100年続く企業にするのが夢。もちろん個人的な願望であって、中川政七商店としてはビジョン達成への道のりは長く、産業革命と産業観光を柱にした「さんち構想」などの戦略を打ち出しながら、工芸の未来をつくっていきたいと思います。

“京大らしさ”を前面に出して
新しい価値観を打ち立ててほしい
春田 京大の同窓生が学生時代を振り返る時、「大学には行かなかった」と言いますが、私も多くの会社でアルバイトをして、お金を貯めては海外旅行に行くなど、遊び回っていました。
中川 私はサッカー三昧でした。お酒が飲めない私は付き合いが面倒だと思って、自分でサッカーサークルをつくりました。
でも、当時は意識していなくても、学生時代の経験は、今に必ず生かされていると思いませんか。
春田 たしかに。私は仕事をするうえで大切なのは“ 好奇心” だと思っていて、年齢とともに薄れていく好奇心を、さまざまな経験をすることで、いつまでも保ち続けることができました。
中川 私の場合、自分でサッカーチームをつくって運営していたことが、マネジメントの原点かもしれません。
春田 最近の京大について、インキュベーターだからこそ、京大発のベンチャーの少なさが気になります。圧倒的に東京大学の理系が多い。京大は自由の学風を大事にしているのだから、もっと気軽にアイデアが出そうなものです。
中川 ただ、ベンチャーを興し、上場し、時価総額を引き上げることをベストとする世間一般の価値観が、京大の存在感を薄めていると感じます。“それ以外”の価値観が出てくれば、京大の立地や学風も生かされるはずですし、京大にこそ、オリジナルな価値観を打ち立ててほしと思います。
春田 なるほど。あと、“京大らしさ”にはこだわるべきですね。ファンドをつくるくらいなら、教育にとことんお金をかける。世界から著名な教員を短期間ずつ招聘するコースをつくって、世界中から学生を集め、10年後に芽を出すことを目指す、とか。京都なら教員を呼ぶ吸引力がある。立地を生かしながら、ほかの大学とは違う独自の方法を考えてほしいと思います。
また、京大生は能力が高く、オプションの選択肢は多いのですから、自信をもって好きなことを突き詰めてください。
中川 大切なのは、自分が「気持ちがいい」と思えるツボを知ること。春田さんも私も自分が楽しいと思うことをやってきたけれど、何を楽しいと思うかは人それぞれ。ツボが早く見つかると、働き方のビジョンが見えてくるかもしれません。

(開催日:2017年8月)