Vol.3 寄付者インタビュー

柊家旅館

代表取締役社長 西村 勝さん

NISHIMURA MASARU 滋賀県大津市生まれ。1968年に京都大学法学部を卒業後、トヨタ自動車に入社。1976年に退社して1977年に柊家の婿養子となり、六代当主を継ぐ。京都ロータリークラブ第85代会長、NPO 都心界隈まちづくりネット理事長をはじめ、御池沿道関係者協議会、京都中京区姉小路界隈を考える会など、京都に関する各種会合の要職を務めた。京都ロータリークラブ現役・OB の京大出身者でつくる兄弟会幹事。

大企業の事務職から
老舗の旅館業へ華麗なる転身

 1818 年、福井から上京した初代が運送業、海産物商を始め、二代目の時に請われるまま宿を提供していたのが本業となった。以来、柊家は幕末の志士、明治時代から は貴族や文人墨客など数々の要人を迎え入れ、「来者如帰(らいしゃにょき)」つまり「我が家に帰ってきたように、くつろいでいただきたい」という心を守り 続けてきた。
 この歴史ある宿の六代当主が西村勝社長だ。京都大学法学部を卒業してトヨタ自動車に勤めた後、柊家の婿養子となった経歴を持つ。
 「不安はなかったものの、そろそろ役付きになる年代でしたから、迷いはありましたね」。
 しかも事務職から全く経験のない旅館業へ。「頭を切り替えないといけない」と考えた西村社長は、柊家に入る前、比叡山で2週間修行した後、半年間ほど別府の温泉宿で働いた。

歴史を感じさせる数寄屋造りの外観。奥が平成になって建てた新館

必要な無駄と本当の無駄を
明確に区分する

 心の準備をしていたが、経営に関しては戸惑うことが多かったという。「大企業の合理主義から見ると旅館には無駄が多いと感じたのですが、老舗にとっては一見無駄に思えるものが商品価値を高める、ということがわかるようになりました」。
 例えば、控えの間。ホテルからすると余分なものだが、実は待機やくつろぎの場としての機能を果たし、それが結果として快適な空間を生み出すという。
 とはいえ、多くの無駄が混在していたのは事実。また、古いものがすべて良いわけでもない。「温故知新と不易流行の理念の下、残すものと変えるものを区分することにしました」。
 畳の温かさや床の間、和の設えなどは、昔ながらの佇まいを残す。一方、トイレをはじめとして、必要なところは機能的かつ衛生的な備品や器具に変える。
 和の文化の継承者であるとの矜持を保ち、来者如帰のための要・不要を見極めて対応する。これが西村社長の体現する"柊家流"だ。

写真は昭和28年に増築した棟の一室。ちなみに、この棟は京都大学建築学科の池田総一郎教授が設計したもの

新しい時代に合わせた
設備と快適さを備えた新館を建築

 旅館業は、お客様の反応がさまざまで、一瞬たりとも気が抜けない。また、"京都"への期待値が高いだけに、並のもてなしでは満足してもらえないこともある。
 だからこそ、常に「今、何が求められているか」を考える。その姿勢がひとつの形となったのが、2006年に建築した新館だ。
 「柊家には江戸時代から昭和まで各年代の建物があります。それにならい、時代に沿う平成の建物をつくろうと考えました」。
 コンセプトは数寄屋モダン。建材やデザインに和のテイストを取り入れつつ、洋間でベッドの部屋をつくるなど、和洋の文化を融合。新しさと格式を兼ね備え、現代人の暮らしに合った新館を誕生させた。

同窓生として、京都で商売を営む者として
京都大学に望むこと

 西村社長は常々、京大との関係は希薄だと感じていた。ゼミ仲間との付き合いはあるのに、大学に足を運ぶことはなく、親しい先生もいない。「同窓生と京大との関わりがあればこそ母校への帰属意識は強くなる。大学にはもっと"つなぐ"役割を果たしてもらいたい」。
 京都大学基金についても、その必要性を同窓生にきちんと伝えれば、母校を応援する気持ちが高まるはずだと指摘する。
 京大と料理人による和食の科学的研究など、京都ならではの取り組みは喜ばしい。「京大との協働が、新たな商品づくり、ひいては京都の活性化につながります。同窓生として、また京都で商売を営む者として、京大には地元の発展に貢献できる存在であってほしいですね」。

(取材日:2015年2月)