Vol.5 寄付者インタビュー

朝日ウッドテック株式会社

相談役 海堀 常夫さん

KAIBORI TSUNEO 1931 年大阪府生まれ。1954 年京都大学経済学部卒業。京大在学時の1952 年、実兄の寅一氏とともに木質建材メーカー朝日特殊合板(現・朝日ウッドテック)を起業。1989 年代表取締役社長、1997 年代表取締役会長、2002 年相談役就任。1998 年、大阪府知事表彰(産業功労)受賞。



 京都大学に多額の寄付をされた海堀常夫氏に紺綬褒章が授与され、2016 年2 月4 日に徳賀芳弘副学長より伝達されました。
 海堀氏はお兄様とともに京都大学の卒業生で、「兄弟でお世話になり、恩返しをしただけなので」とお話しになりましたが、褒章と褒章記が手渡されると、笑顔で受け取られました。
 今回の紺綬褒章受章を記念して、海堀氏に京大時代の思い出などを伺いました。

褒章記を受け取る海堀氏(左)

 戦争中は授業で英語が禁止され、終戦後は一転、英語の勉強が盛んに言われるようになりました。戦中から戦後への象徴的な出来事でしょうね。禁止されたから全く勉強しなかったのに、受験で英語が必要になって、勉強しようにも参考書などがほとんど手に入らない。ずいぶん苦労しました。
 京大に入学した1950 年は上に旧制大学の世代がいて、「なんだ新制か」という目で見られ、コンプレックスを感じたこともありました。それに、まだ戦後が色濃く残る時代でした。お米は配給制、外食するにも外食券が必要で、「食の苦労」も大きかったですね。
 でも、京大在学中の4 年間は、変化の早い時期でもありました。外食券もなくなり、下宿していた木屋町周辺も飲み屋などが次々にできて賑やかになっていきました。京都の移り変わりを目の当たりにしてきたわけで、一層思い入れも強く、大学卒業後もたびたび足を運びました。
 大きな変化の中にありながら、私が3 年生の時に兄とともに起業したのは、銘木商をしていた父が、いずれ銘木業では限界が来る、自分たちの持つ技術や知識を、新しいニーズに向けて切り替えないといけない、と常々言っていたからです。著名な中谷實先生のゼミに配属され、これから勉学に励むという時期でしたから、中谷先生にはご迷惑をおかけしたと思います。なんとかゼミには出席して無事卒業しましたが、その後、経営学などをもう一度京大で勉強したいと思ったものです。
 父親は教育に対する関心が深く、1975年に財団法人海堀奨学会を設立。現在も大学生に奨学金を支給していて、その中には京大生もいます。父の影響や兄弟そろって京都大学にお世話になったこともあり、いずれ恩返しを、という思いはずっとありました。長年続けてきた「E2」会というクラス会も高齢化のため解散することになり、残余金を経済学部同窓会に寄付しました。その際「京都大学基金」の存在を知りました。その後、時機を見てインターネットで送金を済ませ、ひと区切りついた気持ちでいました。それが今回の受章につながるなんて、夢にも見なかった驚きです。今後も京大や京大生を応援しながら、母校の発展と活躍を期待しています。

(取材日:2016年2月)