Vol.14 寄付者インタビュー

INOUE TOKUTA 1939年岡山県生まれ。1961年京都大学工学部卒業、1963年大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。トヨタ自動車株式会社に入社。20代後半で当時新設の東富士研究所へ赴任し、エンジンの先行研究・開発や排ガス対策に従事。トヨタ自動車取締役、東富士研究所副所長、1996年にトヨタグループが設立した株式会社コンポン研究所取締役所長、東北大学未来科学技術共同研究センターシニアリサーチフェローなどを歴任。

INOUE SHUJI  1941年岡山県生まれ。1963年京都大学薬学部卒業、1965年大学院薬学研究科薬用植物化学専攻修士課程修了。藤沢薬品工業株式会社(現・アステラス製薬株式会社)に入社。常務取締役国際本部長として欧州での事業拡大に従事。2006年から2009年まで株式会社アールテック・ウエノ(現・スキャンポファーマ合同会社)の代表取締役会長を務めた。

Q 京都大学時代の思い出、ご自身の経験を踏まえて
  今の京大生へのメッセージ、創立125 周年に寄せて
  京都大学に期待することなどをお聞かせください。

悳太さん
 宇治分校と吉田で自由な教養時代を過ごし、学部では内燃機関研究室を選びました。当時、エンジン研究は花形。担当の長尾不二夫先生をはじめ、機械工学の先生方は「京大こそ日本一」という自負を持っておられ、各領域をリードする先生がたくさんいらっしゃった。すばらしい環境で学べたうえに、京大の内燃機関研究室出身ということで、就職後も恵まれました。先輩方も優秀で、自分もうかうかしていられないと奮起するモチベーションとなりました。
 一方、私の京大時代を語るのに欠かせないのが、合唱団での活動です。学部も学年も超えて多彩なバックグラウンドを持つ友人たちと交流できたことに加え、セカンドテノールのリーダーを務めたことが大きかった。合唱というのは各パートは一人が歌っているように聞かせるため、全員の心を合わせる必要があり、そのマネジメントがリーダーに求められます。研究所所長を務めた時、他社の研究担当者からなぜたくさんの成果を出せるのか問われたことがありますが、さまざまな能力や個性を持つ人たちを一つのベクトルに向かわせるというマネジメントを、合唱団で訓練したわけですから。普通に授業を受けているだけではできなかった、貴重で、その後の人生に大きく影響する経験でした。

 今、日本の活力が低下している要因として、パイオニア的苦労への挑戦が減っていることがあると思います。私たちはエンジンの低公害化に取り組んだ第一世代でしたが、その成果によって日本の評価が高まる経験をし、苦労のぶん喜びはひとしおでした。 京大生は、社会へ出てからも出世やお金儲けを求めるのではなく、信念を持って苦しく険しい道を選んでください。能力のある京大生だからこそ、大きな使命を持っているはずです。お金であらゆるものが回る時代だからこそ、お金だけではない価値観があると異を唱え、身をもって示してほしいですね。

 また、京大にはぜひとも、自分自身の栄達ではなく、世界や人類のためという高い志を持った人材を育てていただきたい。125 年は単なる通過点であり、これからも続く人類の歩みに貢献できる人材を輩出してくださるよう願っています。

修爾さん
 ワンダーフォーゲル部に所属し、山登り三昧の学生生活を過ごす一方、真面目に勉強もしましたね。教養部ではあれこれ授業を受けたのですが、特にフランス語は留学帰りの若い先生の話がおもしろかった。欧州に赴任した際には大いに役立ち、大学の学びが活きました。 専門は薬用植物化学という、薬用植物の成分を調べ、新しい化合物を見つける研究に取り組んだのですが、就職後、配属されたのは研究職ではなく開発部門。将来、必要とされるどんな薬をつくるかというアイデアを出し設計する部署です。とはいえ、病気の種類は多く、一つの病気の治療にもさまざまなアプローチ法があるため、多くのオプションを探さなければならず、登山のルートファインディングと同じでした。

 会社では開発部門を経て、海外での営業部門を担当しました。40 年以上前、海外進出の際に地元企業と提携せず自社販売する方法を選んだのですが、当時、日本製品は評価が低く、身体に入る薬は抵抗感も強い。薬の本場と言われるドイツをはじめ欧州各国で順次、事業を展開していきました。パイオニアというのは失敗しないようにしながら、すべて自分たちで切り開くしかない。大変でも、誰もしたことのないチャレンジングでエキサイティングな体験でした。
 今の学生は内向き志向で、未来を悲観視する傾向があると言われます。私も「日本の将来はダメだ。頑張っても仕方ない」という学生の言葉を聞き、ショックを受けたことがあります。私自身「先兵になろう」という覚悟で海外に赴任しましたが、未来を悲観視するから守りの姿勢になるのであって、「自分たちで未来を切り開く」くらいの覚悟でさまざまなチャレンジをしてほしいですね。

 閉塞感を感じる日本人は多く、今後、日本のGDP ランキングは順位を下げる可能性があります。人口数からすればどうしようもない。となれば、これからの日本に必要なのは" 知恵" です。かつて、日本が世界に先駆けた製品を生み出してきた時代がありましたが、今だってやれないことはありません。必要なのは「何かをやってやろう。世界にない新しいものをつくろう」という気概と、知恵と機転。それらを発揮できる、clever(利口)ではなくwise(賢明)な人材を、京都大学には育てていだきたいものですね。

(取材日:2019年9月)