Vol.15 寄付者インタビュー

KIRITANI SHIGEKI 1962年京都府生まれ。1985年京都大学法学部(奥田ゼミ)卒業後、大和証券(現・大和証券グループ本社)に入社。金融法人部、ロンドン現地法人勤務などを経て、1990年にカリフォルニア大学バークレー校経営大学院へ留学しMBAを取得。総合企画室、アメリカ大和証券コマーシャル・モーゲージ部などを経て1998年にゴールドマン・サックス証券入社、戦略投資部の創立メンバーの一人となる。2000年にマネージング・ディレクター。2009年にマーチャント・バンキング部門責任者を経て、2011年より現職。

Q 京都大学を志望する強い動機があったとお聞きしました。

 高校生の時に滝川事件※を知り、中央権力からの圧力にも節を曲げない京都大学の気風にあこがれました。だから私にとって滝川教授の在籍しておられた法学部を受験するのは必然だったのです。うかつな話ですが、入学してから法律の勉強そのものにはそれほど関心が持てないことがわかり、結局あまり授業には出席せずテニスコートや雀荘へ行く日々が続きました。
 就職活動の時期になって慌てて付け焼刃の勉強で公務員試験を受け、官僚になる寸前で思いとどまりました。面接を受けるうちに、決められたことを確実に実行していくという官僚組織の文化に適合できそうにないと痛感したからです。そこでマーケットという100%の予測が不可能な世界を相手に仕事をする証券会社に就職しました。業界として成長途上であったのも魅力的でした。職業を選ぶ時にも、私の中にある京大気質が目を覚ましたのかもしれません。

※1933(昭和8)年、滝川幸辰法学部教授の著作や講演が共産主義的として、文部省が辞職を要求。法学部の教官は、学問の自由と大学の自治を守ろうと運動したが、滝川を含む21人が京大を去った。

Q 就職後、MBA取得のためアメリカの大学に留学された
  ことは桐谷さんにとってどういう経験になりましたか?

 最初の就職先だった大和証券の社内留学制度を利用してカリフォルニア大学バークレー校経営大学院に留学しました。政治の中心地から離れた西海岸のリベラルな雰囲気は京都大学とも共通点があった気がします。
 当時の日本では経営学はまだ学問として認知度が低く、とりわけ「投資」や「企業ファイナンス」といった分野は低く見られる傾向にありました。一方、アメリカでは学問領域として認知されていたことが非常に新鮮で、卒業後の仕事に直結する知識を習得できました。
 そして学長が「寄付金集め」と「優れた教授陣と学生のリクルーティング」を大きなミッションにしていることに驚きました。日本で有名大学の学長が寄付金集めの活動をすることは想像できませんでしたから。有名大学は学生にとって「入れてもらう」場所でしかない日本と、優秀な学生に「入ってもらう」アメリカに大きな差を感じました。
 優れた先生のもとで優れた学生が学べば、将来成功する可能性が高くなる。成功した卒業生からは大きな寄付が集まる。それがまた優秀な人材を獲得する資源になる。特に教授陣や学生のリクルーティングは大学間でグローバルな競争が起こっています。競争に勝つためには奨学金制度の充実や研究環境の整備が不可欠で、それには資金が必要です。京都大学もこのような好循環を生むエコシステムづくりに取り組んでいただきたいと思います。

Q 創立125 周年に寄せて、京都大学への期待や
  京大生へのメッセージをお願いします。

 京都大学にはグローバルな大学間の競争に勝ち抜く大学になっていただきたい。
 さまざまなバックグラウンドを持った優秀な人材が京都大学というブランドに引き寄せられ、相互に刺激し合って新たな業績につながっていく、それがさらに大学の名声を高め、新たに人を惹きつけていく。これが競争力です。資金集めやリクルーティングはそのための大切な手段だと思います。
 京大生にはもっと世間の動きに敏感になってほしいですね。採用活動で出会う京大生は"すれていない"人が多く、今も昔も変わっていないと感じます。ただ世間を知ったうえで超然としていることと、世間を知らないでずれていることは違います。
 最後に自分の反省も込めて申し上げると、京都大学に在籍しているメリットをしっかり享受してください。それは学問を修めるということです。学生の間はそれぞれの分野で最高峰の先生から講義を聞き、わからない点があればわかるように教えてもらう権利を持っているのですから。

(取材日:2019年7月)


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