Vol.21 寄付者インタビュー

NAKARAI DAI 1976年山形県生まれ。1999年京都大学法学部卒業後、学習塾を経営。2011年ナカライテスク入社、2013年より現職。

Q 京都大学時代の思い出などをお聞かせください。

 出身地の山形県からは関東方面の大学に進学する人が多い中で、私が京都大学を選んだのは「赤本」の在学生メッセージで、素朴でのほほんとしたことを書いている学生が多くて「おもしろそう」と思ったからです。私はマイペースでやることは自分で決めたいタイプなので、京都大学の自由さが魅力的に映りました。
 学部の選択も文系なら法学部くらいの気持ちで、万事のんびりと、ほどほどに勉強して遊んで過ごした4年間でした。自分の持てるリソースを勉強や遊びなどに自ら振り分けることで、ある意味「バランス感覚」を身につけたように思います。
 入学当時は山形弁しか話せず、関西弁のテンポについていけるよう漫才を見て勉強をしたり、同じクラスだったお笑いタレントの宇治原史規さんと仲良くなりたいと思いつつそれほど親しくなれないままだったり、テニスサークルに所属したもののラケットをほとんど握ることなく麻雀牌ばかり握っていたり、そんな楽しい思い出ばかりです。
 同じ時間軸で過ごした当時の仲間も、今はそれぞれ要職に就いて活躍しています。当然、学生の本分は勉強ですが、京大生の場合は卒業してからのポテンシャル発揮こそが本番なのかもしれません。

Q 卒業後、地元に戻って学習塾を始められた経緯は?

 漁師をしていた両親の要望があり、また就活や会社勤めにもあまり興味がなかったので、地元で司法試験の勉強でもしようと帰ることにしました。家業を手伝いながら学習塾でアルバイトをしていましたが、結局、「自分で経営しよう」と思い至りました。最初の1、2年は苦労したもののやがて軌道に乗り、最後は学習塾をチェーン展開している企業に事業譲渡しました。
 大学の先輩の縁で妻と出会って京都に戻り、今の会社に入社しました。公私ともに生活が大きく変わり、慣れないことばかりでしたが、自分は楽天的な性格ゆえ、どんな状況になっても「まあ何とかなるだろう」という気持ちで前向きにやってこられたと思います。
 過去を振り返って、学習塾の経営についてはこうすればよかった、大学時代はもっとアカデミックな空気に触れておけばよかった、と思うことはあります。でもそれは、いつになっても同じではないでしょうか。10年後に今のことを振り返っても、やはりあれをしておけばよかったと思うはずです。だからその時その時、興味のあることや自分が必要だと思うことにチャレンジすればいい。
 かつて仕入れた知識でも今の仕事に必要なければ頭から抜けていくし、知識だけがすべてではありません。学生時代の人脈、塾時代に身につけた話し方や立ち居振る舞いといったことのほうが、今の自分には活きていると思います。

Q 創立125周年に寄せて、京都大学への期待や京大生への
  メッセージをお願いします。

 京都地盤の試薬会社である当社としては、創立125周年記念事業の「研究力強化」に期待していますし、京都のアイデンティティにとって欠かせない存在である京都大学を盛り上げていきたいと思います。
 京都大学の魅力は多様性や包容力です。さまざまなタイプの学生や研究者がいて、好きなことに打ち込める環境がある。国などが重点的に支援する領域以外にも「おもしろい研究」はあり、そういう研究も大切にするのが京都大学でしょう。いわば"大穴"のような、何の役に立つのかと思われる研究も等しく盛り上げていただきたい。それが京都大学の求心力となって、さらに優秀な学生や研究者が集まってくるはずです。
 私の変化に富んだ人生において、「京都大学卒業生である」ことが矜持でした。今の会社に勤めてからハーバード・ビジネス・スクールや東京の大学で学びましたが、怖じる気持ちはなく、「自分には京大生としてのポテンシャルがある。看板に恥じないように頑張ろう」という意地や緊張感が自分を成長させてくれました。
 京大生でいるのは数年間ですが、京都大学出身という看板は一生もの。意地とプライドを忘れずに歩んでいってください。

(取材日:2020年8月)


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