Vol.31 寄付者インタビュー

NAKAMURA KAZUO 1946年生まれ、山梨県甲府市出身。1969年京都大学薬学部を卒業、2008年金沢大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了。薬学博士。1969年三共株式会社(現・第一三共)に入社し、世界的に有名なブロックバスター薬であるメバロチン(高脂血症、家族性高コレステロール血症治療薬)の開発を担当した後に独立。1992年に日本初の医薬品開発受託機関(CRO)のシミックを創業。シミックホールディングス代表取締役CEO。京都大学大学院総合生存学館(思修館)特任教授(現任)。


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Q どんな京都大学時代を過ごされましたか?

 私の故郷である甲府は、甲斐(現・山梨)国の戦国武将である武田信玄が京文化に敬意を表していたこともあり、京都とは縁が深く、子どもの頃から京都に憧れていました。加えて、科学少年だった私は、高校で化学部に入って薬や化粧品の世界に興味を持つようになったこと、京都大学に進学した先輩から「京都は舞妓さんもいるし、いいぞ」と勧められたこと、京都には化学や薬学の分野で優れた研究者がいたことなど、複数の理由が重なって、「京都大学に行って科学者になる」という明確な目標を持つに至りました。
 厳格だった親の元を離れて自由になり、当時人気だった軽音学部に入部しました。入学してすぐに専門的な実験ができると期待していたのですが、教養部の化学実習を「この程度か」とつまらなくなってしまい、ますます音楽にのめりこみ、自分のバンド活動や部のマネジメントに日々明け暮れるようになりました。ただ、教養部の先生は個性派揃いで授業はおもしろかったです。今でも先生方の名前がすらすらと出てきますから。ちなみにこの頃は、「ロックなんて」と白い目で見られる時代でしたが、軽音楽部出身者の多くが後に出世しているのですから不思議なものです。学問だけではなく人間力を養うことが大切ということでしょうか。

Q 大学紛争が激しさを増した時代でもありました。

 社会システムへの不満が噴出し、あるいは学問の自由を求めて、世界中で学生運動が起こる中、京都大学でも授業が中止されました。当時の紛争は激しいものでしたが、「既存のものを変え、より良い世界にしたい」という夢があったことはたしかです。
 先生たちにも真正面からぶつかり、毎晩、夜の攻防戦と称して朝までディスカッションしていました。結果としてそれが濃密なコミュニケーションへとつながっていたのですが、根底には「Respect each other」、お互いの個性をリスペクトしあうという信頼関係があったからこそだと思います。当時の総長と学生が一緒に食事をする機会もありましたし、議論した先生方も、「君たちのおかげで鍛えられた」とおっしゃっていました。
 一方で、京都大学時代は挫折感を味わい、自分と向き合う時間でもありました。志とは違う方向に進み、混沌に巻き込まれながら、「自分の存在とは何か? どう生きるべきか?」という問いを突きつけられたのです。
 でも、私はその問いから逃げませんでした。お寺に行きお坊さんの説教を聞いたりする中で、自分なりに出した答えが「瞬間を生ききる」ということです。仏教観にも通じるもので、一輪挿しの花は根を切られながらもその瞬間を美しく生きているということ。「今を精一杯生きることの積み重ねが自分の人生をつくっていく。今を大切にして生き抜かなければならない」といった思いを強くしていきました。こうして築いた人生観は、「その人らしくまっとうするため」「その瞬間を生ききる」という企業理念につながっています。
 いずれにせよ、もがきながら自己形成をしていく時代を、京都という土地で過ごせたことが何より幸せだったと思います。

Q 京都の魅力とは?

 京都は日常の中に多様性があふれており、寺社をはじめ茶道、華道、香道、能楽など数百年から千余年という歴史を持つ文化、人々の暮らし、風情ある街並みが今も残っています。古いものと新しいものが共存しながら再生を繰り返している京都。世界のどんな古い都市も持ちえない不思議な魅力を持っています。この多様性の中に身を置いたからこそ、自分の存在をじっくり見つめることができたのかもしれません。
 ですから当時を振り返り「学生時代にもっとこんなことをすればよかった」という後悔はありません。京都ならではの文化にはいくつになっても触れることはできますが、その時にしかできない経験をたくさん積めたのですから。

Q ご自身の経験から、今の京都大学の課題をどう捉えていますか?

 かつての京都大学には多様性、強烈な個性、それを互いにリスペクトする風潮、濃密なコミュニケーションがありました。ですが今は、それらすべてが薄れていると感じます。
 理由はいろいろでしょう。体系化されすぎて、多様性が保ちにくいことも一つ。私たちは就職後も「ワイシャツの色はなぜ白じゃないといけないのか」など、「なぜ」と思ったことは議論せずにいられませんでした。本来、個性をぶつけ合い議論を尽くすことで本質に迫り、そこから新しいもの、おもしろいものが生まれてくるものですが、最近は議論できる強さが失われているように思います。パワハラ、セクハラが問題となって議論を避ける傾向があることも一因なのでしょう。
 京都が多様性を保ちながら今なお世界中の人を魅了する町として生き抜いているところに、何かしら解決のヒントがあるかもしれません。
 もう一つ大切なのは"立ち位置"を理解することです。京都の伝統工芸などの匠たちは、これまでの伝統技法を生かしながらも、現代アートとして進化させ、世界に打って出ています。周囲をよく見て、どんな強みがあるか、その強みはグローバルな中でどれほどの有効性があるのか。自らの立ち位置を理解することで、打つべき手が見えてくるのではないでしょうか。

Q 最後に、京大生へのメッセージをお願いします。

 高校生から大学生へと広い世界に出れば、傷つくことはたくさんあります。でも、人間は失敗や挫折を乗り越えてこそ成長するものです。大学生時代というのはまだまだインキュベーション・タイムなのですから、いろいろな経験をしてほしいですね。議論による対立や傷つくことを恐れず、その瞬間瞬間を大切に、もがきながら自己の存在意義、自分の立ち位置を探っていってほしいと思います。

(取材日:2022年6月)