Vol.20 寄付者インタビュー

UEKI NOBUTAKA 1951年京都府生まれ。1976年京都大学文学部卒業。株式会社潮文社を経て1978年サンマーク出版の前身である株式会社教育研究社に入社。戦後2番目(当時)の大ヒットとなった春山茂雄著『脳内革命』(410万部)などを企画編集。2002年より現職。

Q 京都大学時代の思い出などをお聞かせください。

 父も2人の兄も現役で京都大学に入学しており、プレッシャーを感じていたのですが、1年目は理学部を目指して失敗、浪人中にニーチェやショーペンハウエルの本を読んで哲学の魅力にめざめ、志望を変更したものの翌年もまた不合格で、2浪の末に文学部に入学しました。ただ、哲学志望の学生には一日中、哲学の原書を読みふけっているような人がざらにいて、これは太刀打ちできないと諦めてドイツ文学に進みました。
 教養部のクラスは仲が良くて、実家暮らしだった私のところで鍋をしたり、祇園祭の山鉾を曳くアルバイトをみんなでしたりしました。有志メンバーで11月祭の時に同人誌『繚乱』を発行したことは今でも思い出深いですね。高校2年生の時に父が亡くなっているため、いくつか奨学金をいただいており、勉強は頑張りました。
 文学部生はあまり進路について考えていない浮世離れした学生が多かったですが、私自身も具体的な未来を思い描いていたわけではありません。きちんと進路選択をしたから人生がうまくいくとは限らないし、出合いがしらみたいな出来事が起こるのが人生です。あまり先のことを考えず、その時にやりたいと思ったことを学んだから今があるのでしょう。
 以前は2浪したことを隠していましたが、今や笑いのタネとなっています。人生に失敗はつきもので、ずっと順風満帆な人なんていませんから。若いうちに失敗しておいてよかったと思います。

Q 京都大学で過ごしたことが今に活きていると思うことは
  ありますか?

 山紫水明の千年の都であり、高い水準の文化と歴史に包まれた京都と、この地で120余年歩んできた京都大学は、独自の価値観やDNAを持っています。京都で育った人は普遍的なものを大切にし、長いスパンや世界的な視点で物事を見る傾向があると感じます。小手先だけでは継続できないことを知っているからでしょう。長く続きグローバル展開をしている京都企業が多いのも、こうしたDNAゆえかもしれません。
 京都大学もこのDNAを礎に自由や個性を大切にして、野生的ながら目先のことや部分にとらわれない、全体を見渡せる視野を持った人材を数多く育ててきました。
 京都で生まれ育ち京都大学で学んだ私もこのDNAを受け継ぎ、長らく出版不況と言われる業界に身を置きながら編集者として"良書"づくりにこだわり、遠く広く未来を見据えた取り組みを行ってきました。
 経営者となってからは「海外版権」のビジネスにも注力しました。人種が違っても心に大きな違いはない、日本のアニメやコミックが海外で人気なのは技法や筋書きが優れているばかりではなく、奥に折りたたまれた日本のスピリットに共感されているためで、我々が手がける活字も受け入れられるはず。そんな自らの信念に基づいて展開してきており、近年はヒット作も生まれています。社員には海外への意識づけのために、世界最大の書籍見本市であるフランクフルト・ブックフェアに参加させています。そして今また、まだまだおもしろいことができる可能性があるコンテンツ産業やキャラクター産業に切り込むために社内チームを発足させるなど、未来に向けて進んでいるところです。

Q 創立125周年に寄せて、京都大学への期待や京大生への
  メッセージをお願いします。

 私自身、奨学金をいただいて学べたことを、還暦を過ぎてからありがたい、恩返しをしたいと思うようになり、寄付によって学生を支援することの大切さを理解できるようになりました。こういう気持ちを持っている卒業生は、実は多いのではないかと思います。母校への愛情を持っているし、学生や研究を支援したいと思っている。その気持ちを掘り起こし行動に移していただくための活動を、大学にはしていただきたいですね。
 全体を見渡せるという京大生が持つ特徴について、本人たちは案外気づいていないものです。でも、この特徴は大きな魅力であることを自覚して、目先のことに一喜一憂せず、つらいこともはね返して前に進んでいってください。それだけの器とDNA を持っているのですから。

(取材日:2020年9月)


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