Vol.23 寄付者インタビュー

SENMOTO SACHIO 奈良県出身。1966年京都大学工学部卒業。日本電信電話公社(現NTT)を経て、稲盛和夫氏らと第二電電(現KDDI)を共同創業。その後、イー・アクセス、イー・モバイルをCEOとして立ち上げ、両社の拡大を長きにわたり牽引。2015年レノバの会長に就任。慶應義塾大学大学院教授、カリフォルニア大学バークレー、カーネギーメロン大学の客員教授、スタンフォード大学客員フェロー等を歴任。Ph.D(電子工学)。IEEEフェロー。

Q 京都大学時代の思い出などをお聞かせください。

 高校生の時、いくつかの大学を訪問したのですが、京都大学の自由で"大人"が集まっている雰囲気に惹かれ、進学を決めました。
 「自由で大人」と言えば聞こえがいいけれど、何をどう学ぶべきかすべて自分で考えて行動しなければならず、自由だからこそ「人と違うことをする」姿勢が求められ、人と違うことをするからには「挑戦」が必要になる。実は非常に厳しいんです。だから、京都大学には「変わっている」ことへのリスペクトがあったのだと思います。
 私はもともと他と違うことへの抵抗感がありましたが、京都大学で過ごすうちに多様なものを受け入れる許容性が培われ、「とにかくやってみよう」というマインドが養われました。他と違っていてもその意味を考え、自分が納得できる結論が出たなら、じっくり腰を据えて挑戦してみることの大切さを知りました。おかげで、NTTを辞めて第二電電を立ち上げるという、他から見たら猪突猛進的な挑戦ができたのだと思います。
 ちなみに自由の学風は、京都という地と無関係ではありません。長い歴史を守り続けるために「保守的な気質」が強い京都では、同時に、伝統や保守的なしきたりを「打ち破りたい」という意識が芽生えやすいのでしょう。京都大学しかり、特徴ある京都企業が多いのもそうした理由かもしれません。

Q サークル活動に力を入れ、
  寮生活を満喫されたとお聞きしました。

 はい。私の京大生時代の柱となるのがその2つです。
 サークルは京大カトリック研究会、通称カト研です。1960年代前半は、若者の社会問題に対する意識が高く、日本のみならず世界でも学生運動が激しさを増した時代。その中で、国内だけでなく世界中に存在する学生連盟などと連携を図りながら、「キリスト教は社会問題や政治イデオロギーにどう立ち向かうべきか。よりリベラルでオープンな対話が必要ではないか」といったテーマについて議論し、活動につなげることを目指していました。学生として日本人として社会問題に対峙することに全精力を傾けた4 年間でした。
 もう1つの柱は、「海の星学寮」での生活です。地方の篤志家により人材育成の一環として設立された寮で、大学も学部も年齢も異なる学生たちが暮らし、毎晩のように「人はなぜ生きるのか」「宗教の果たすべき役割とは何か」について話し合っていました。さまざまなバックグラウンドを持つ学生たちの意見は新鮮でしたね。
 思い出深いのは、当時は助教授だった梅原猛先生のご自宅が寮の真向かいにあり、寮生数人でよく押しかけたことです。いつも歓迎いただき、哲学論議にも向き合ってくださったのですが、梅原先生に限らず、京大の先生方は皆、ひろやかで度量が大きかった。先生方に学生が気軽にアクセスできる環境にあったことこそ、京都大学ならではの魅力ですね。
 こんな学生生活ですから勉強は最低限のみ。一夜漬けが得意で成績は上位でしたが、真の意味で「勉強をした」という実感はありません。本当に勉強をしたのは、アメリカの大学院で過ごした猛烈な3年間でした。それでも、やりたいことを思い切りやる自由を持ち、仲間と精神的なつながりを築けたことのほうが、はるかに意味は大きかったと思います。

Q 京都大学への期待や京大生へのメッセージをお願いします。

 京都大学にも京大生にも、もっと高めてほしいのが「グローバル度」です。京都大学には「エッジが効いている」という個性に磨きをかけて、世界中の学生が学びたいと思う魅力づくりに力を入れてもらいたい。学生たちは多様な文化や人に触れる中でセンシティビティを研ぎ澄まし、世界の潮流を見逃さない鋭い視野を手に入れてほしいですね。
 まずは「こんなことがしたい。こんな人間になりたい」という"芯"があって、その実現のための方法を考えるべきなのに、最近の若者は"芯"がないまま、就職に有利な経験を積もうとする方向に流されがちだと感じます。せっかく京都という歴史ある落ち着いた場所にいるのですから、自分の内面と深く向き合い考える時間を大切にしてください。そして、京都大学は目標を高く持ち、「京都にある」という強みを打ち出しながら、世界のどこにもない存在感を示していただきたいと思います。

(取材日:2021年3月)


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