Vol.27 寄付者インタビュー

KIMINAMI YOSUKE 1974年兵庫県生まれ。1998年京都大学総合人間学部卒業。主専攻は環境政策論、副専攻は物質環境論。1997年、大学在学中に有限会社メディアマックスジャパンを設立し代表取締役に就任。1998年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンを経て、2000年5月株式会社レノバ(旧社名:株式会社リサイクルワン)を設立、同社代表取締役社長就任。

Q 総合人間学部の1期生でいらっしゃいますが、同学部を志望
  された理由や入学しての印象をお聞かせください。

 高校2年生の時、総合人間学部が新設されるという新聞記事を見ました。「学際研究を行い、課題解決型のアプローチを目指す」と書かれていて、「これだ」と思いましたね。環境問題に対する自分の興味と大学の学問領域がリンクしないと感じていたのでピンときました。私は人間活動が自然にダメージを与え、人間がやりたいようにやっていると、やりたいようにやれなくなる、という構造を不思議に感じていたんです。
 「これだ」と思って入学した総合人間学部ですが、楽しい面、しんどい面の両方がありました。楽しい面は、ユニークなキャラクターぞろいだったこと。ただでさえ人と違うことをしたいと思って京都大学に来る人が多いのに、さらに濃縮されていました。
 しんどい面というのは、「学際性」についてです。各分野を学んだうえで「融合」させることは学生に託される部分が大きく、これは非常にハードルが高かったですね。

Q 起業に至る経緯は?

 3回生の終わりに学部の友人とITベンチャーを立ち上げ、4回生は休学したものの、この仕事でいいのかな、と。環境問題を研究したくて大学に入ったのだから、原点に立ち戻るべきではないか。そう考えていた時、マッキンゼー・アンド・カンパニーでインターンをする機会があり、ビジネスの感性を磨くため同社に就職。2年間勤めたのちにレノバ(旧社名:リサイクルワン)を設立しました。
 レノバは環境・エネルギー領域の調査・コンサルティング事業からスタートしており、2000年代半ば、ヨーロッパで排出権取引制度が創設されてから、海外の再生可能エネルギー事業にも関わるようになりました。その後、資源リサイクル事業にも進出しましたが、大きな転機は2011年の東日本大震災です。日本でも再生可能エネルギーが注目を集めるようになり、当社はわずか半年後に巨大な太陽光発電開発のプロジェクトを開始しました。「いきなり大規模な開発をよくやれたね」と言われますが、国内で法制度が整備される前から、調査や検討を進めていたことが背景にあります。
 「2050年カーボンニュートラル」が宣言され、日本は大きな挑戦に立ち向かう中で、洋上風力を重要視して高い導入目標値を掲げています。しかし、私たちは 6年前から洋上風力発電開発に取り組んできました。現在進行中の秋田県でのプロジェクトを成功させ、「新しいエネルギー調達の方法」として世に示すことを目下の目標とするとともに、これから先も、レノバは「ファーストペンギン」であり続けたいと考えています。

Q 京都大学でよかったと思うことや、経済人として見た京都大学
  の強みは?

 多くの議論をしたことは、かけがえのない経験でした。さまざまなバックグラウンドを持つ者同士、なぜそれに興味があるのかと挑戦的な質問を投げ合う。議論が思考実験となり、自分の目指すことがクリアになったのだと思います。
 一方で、他大学や海外大学の学生と議論ができる場があればよかったですね。ヨーロッパは環境先進地域であり、我々の事業でも事例研究をしていますが、学生時代からもっと海外に目を向けておけばよかったと悔やまれます。
 人と違うことをしたいという思いを持って自分自身で咀嚼することを大切にし、人の発言にとらわれず「自分はどう考えるか」を考え尽くす。この独自性や客観性はいかにも"京大らしい強み"なのではないでしょうか。

Q 京都大学への期待や京大生へのメッセージをお願いします。

 私の好きな言葉でもある「探検大学」として冒険を奨励し、もともとおもしろい学生が、さらにおもしろさに磨きをかける、そんな場であってほしいと思います。そして「深める」だけでなく、新しいところに点を打ちに行くような「広げる」場であれ!
 学生の皆さんには、なるべく早く「自分は何者である」という旗を立てることをお勧めします。これは、自分が何に関心があり、何を成したいと思っているかを確立することです。旗を立てれば学び方が変わってきます。自分から動き回り、課題認識力を磨き、旗を立てている人をたくさん目にして、自らの旗探しをしてください。

(取材日:2021年9月)


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