Vol.33 寄付者インタビュー

OHARA ISOU 2007年京都大学経済学部卒業、2009年京都大学経営管理大学院にて経営学修士(MBA)を取得後、モルガン・スタンレー証券株式会社に入社し、上場会社、未上場会社等の法人営業に従事。2014年にメリルリンチ日本証券に移籍し、債券部にてヴァイスプレジデントに昇格。2017年1月、在職中にモアサナイトジュエリーブランドBrillar (ブリジャール)を立ち上げ、同年12月に株式会社Brillarを設立し、代表取締役社長に就任。私生活では三児の母。

Q どんな京都大学時代を過ごされましたか?

 第一志望の東京大学が不合格となり、後期試験で京都大学を受験したという経緯から、京都大学についての前知識はほとんどありませんでした。初めて訪れた時の印象は雑多でファンキー。ワクワクして、自分のキャラに合っていると感じました。
 入学後はアーチェリー部の活動、勉強、恋愛と充実した生活を送りましたが、実は最初の2年ほど怠惰に過ごす時期がありました。急に得た自由な環境を持て余してしまって。漫然と授業を受け、一日中ネットサーフィンをしていました。
 いわば"さなぎ"の時期だったのでしょう。だらだらしていると焦燥感に襲われて、「自分はアクティブに動き回っているほうが性に合っている」ということに気づきました。それでゼミに所属してから一転、すぐにフランス留学を決めました。
 進路は具体的に考えていませんでしたが、留学中に就活が終っていたので大学院に進学するしかない、と。いい加減な話ですね。いずれ起業したい思いもあって、京都大学経営管理大学院2期生として入学しました。
 自由の中では、さなぎのまま過ごすのも羽化するのも自分次第。すべて自分で考えて決めることで、自分を律し羽ばたくための方法論が身に着くのだと思います。成果主義の米国系企業にすぐに適応できたのは、それらの能力のおかげです。

Q アーチェリー部での活動はいかがでしたか。

 京都大学アーチェリー部はずっと1部リーグに所属していたのですが、私が留学から帰国すると、翌月に控えたリーグ戦で上位成績を収めないと2部に陥落する瀬戸際に立っていました。
 同期の女性部員全員が不調で、戦力外だった私が頑張らないといけない状況に奮起して、練習に明け暮れました。めきめきと点数があがり、同期女性の中で私だけがリーグ戦のメンバーに選出され、なんと本番で自己新記録をたたき出したんです。1部残留を果たし、私は"救世主"とほめそやされました。プレッシャーの中で成果が出せたことで、「自分は勝負強く、集中力があったんだ」とうれしく、誇りに思うエピソードです。

Q 会社を辞めて、人工宝石モアサナイトの
  ジュエリー会社を立ち上げられた経緯は?

 ダイヤモンドを取り巻く人権問題、環境問題の存在を知り、自分は別の宝石を買おうと思って調べていた時に出会ったのがモアサナイトです。実物はダイヤモンド以上の輝きで、耐久性や硬度もダイヤモンドに匹敵するにもかかわらず、日本でほとんど知られていないことが逆にチャンスだと感じたんです。それで、副業としてオンライン販売を始めたのが2017年1月。趣味程度のつもりがあっという間に受注が増え、同年12月に退職して法人化しました。
 2021年には、京都大学工学研究科の木本恒暢教授とモアサナイトの製造方法を共同開発し、日本と中国で特許を取得しました。半導体デバイスの原料である有色の炭素ケイ素(SiC)を、宝石利用が可能なように無色透明化できないか相談を持ちかけたところ、木本先生に興味を持っていただきました。当社のような中小企業からのアプローチにも耳を傾けてくれる柔軟性、チャレンジ精神には感謝しています。
 今年8月、木本先生のご協力のもと小学4~6年生を対象に研究室見学ツアーを開催しました。子どもたちに勉強した先に何があるか見せてあげたい。私自身、小学生の時に東京大学を見学したことが目指すきっかけでしたから。テストツアーに参加した小学生の息子は「京都大学で半導体の研究をする」と言っています。将来どんな道に進むにしろ、今回のことが原体験になるはずです。

Q 最後に京都大学に期待することや、
  京大生へのメッセージをお願いします。

 母親としての目線で考えると、息子が大学に入学する時、京都大学は国際色豊かで、未知の世界にチャレンジする学生をたくさん育てる大学であってほしいですね。
 学生の皆さんが今やりたいことがなくぼんやり過ごしているとしても、エネルギーチャージの時期ですから焦る必要はありません。でも、私がモアサナイトに出会った時のように、「これだ」と思えるものに出会ったら、迷わずにコンフォートゾーン(快適な空間)を飛び出してください。大切なのは決断力、瞬発力、行動力です。

(取材日:2022年7月)


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