Vol.2 卒業生座談会

株式会社種田

京鹿の子絞り業界ではもっとも古い1837(天保8)年の創業。伝統的な京鹿の子絞りの技法を用い、和装小物を製造。絹地だけでなく麻や綿、皮革といった素材に絞りを応用するなど、加工技術の研究にも注力し、新たな販路開拓を模索する。

代表取締役 種田 靖夫さん

TANEDA YASUO 奈良県生まれ。1991 年京都大学薬学部卒業、1993 年京都大学大学院薬学研究科修了後、製薬会社で糖尿病薬やエイズ薬の開発に携わる。結婚後、妻の実家である京絞りに目覚め、1998 年に入社。2010 年に代表取締役に就任。


株式会社伊と忠

1895(明治28)年創業の和装履物の老舗。和装美の隠されたポイント「足もとの美学」を追求している。古都で培われた染・織・縫などの伝統の技を取り入れて、格調高い和装履物をつくり出している。

代表取締役社長 伊藤 忠弘さん

ITO TADAHIRO 京都市生まれ。1997 年京都大学法学部卒業。マスコミ関連企業勤務を経て、2000 年に伊と忠に入社。2010年に伊と忠代表取締役に就任。和装履物事業の一方で、雑貨事業を立ち上げ、2012 年に事業を独立させ、スーベニール株式会社を設立。

華道 未生流笹岡

1919(大正8)年、笹岡竹甫により創流。未生流(江戸時代後期、未生斎一甫により大阪で創始)の特色である鱗形(直角二等辺三角形)を踏襲した笹岡式盛花を編み出し一派を立てた。伝統と革新を兼ね備えた流派。

家元 笹岡 隆甫さん

SASAOKA RYUHO 京都市生まれ。3 歳より祖父である二代家元笹岡勲甫の指導を受ける。1997 年京都大学工学部建築学科卒業、1999 年京都大学大学院修士課程修了、2000 年同博士後期課程を中退。2011 年三代家元を継承。

株式会社聖護院八ッ橋総本店

創業1689(元禄2)年、320年以上続く八ッ橋の老舗。近世箏曲の開祖・八橋検校の没後、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名づけて聖護院の地で売り出したのが始まり。

専務取締役 鈴鹿 可奈子さん

SUZUKA KANAKO 京都市生まれ。2005 年京都大学経済学部卒業後、信用調査会社勤務を経て、2006 年に聖護院八ッ橋総本店に入社。2011年、八ッ橋の新しい食べ方を提案する店舗として「nikiniki」をプロデュース。

京都は「大きな田舎」
濃い人付き合いが商いにも生きる

種田伊藤さんと笹岡さんは同い年で幼稚園から一緒、鈴鹿さんは小学生の頃に通って いた塾で、大学生だったお2人が講師だったとか。長いお付き合いの皆さんですので、ざっくばらんにお話を伺えればと思います。私は京都の生まれではなく、 妻の実家の家業を継いだ身ですが、皆さんは生まれも育ちも京都で、それぞれ家業を継がれていますね。
笹岡京都はいわば「大きな田舎」みたいなところで、人付き合いが濃密だし、跡継ぎを特別扱いするところがある。ちょっとした差なのですが、その積み重ねで、跡継ぎは特別、頑張らないといけない、という自覚が芽生えていったと思います。
鈴鹿物心ついた頃から会社の行事に参加していたので、継ぐことはなんとなく感じていました。自らの意志で決めたつもりですが、周囲からその方向にもっていってもらったかもしれません。
伊藤跡を継ぐ話を初めて両親としたのは、大学生になってから。その時、父が「京大を出てまでする仕事じゃない」と言ったんです。呉服産業は縮小しているし、自分のしたいことをやればいい、と。話半分に聞いていましたが、しんどい商売であるとは自覚していました。
種田生まれ育った人間にとって、どういうところが「京都らしさ」だと思われますか。
笹岡どこに行っても誰かしら知っている人がいて、共通の知人がいて、人の輪が広がる。これが京都のおもしろさ。窮屈に思うかもしれませんが、かえって気楽なこともあります。
鈴鹿つねに誰かが助けてくれるから、安心できるんです。
種田花街での宴会で、よそのお店のご主人が、芸妓さんに「あんたのお父さん、お祖父さんはこんなことを言うてはった」なんて言われている。自分が直接聞いていない言葉も、こんな形で伝わる。つながりの強さや広さには驚きます。
伊藤以前は、私も京都は保守的というイメージを持っていたのですが、古いものを大事にする半面、新しいもの好きな面もあるんです。両面が一人の人や会社の中に混在することで独自の文化を生み出していて、それが京都らしさになっているのではないか、と考えています。

種田 靖夫さん

「変えていいこと、変えてはいけないこと」
のさじ加減を知るから挑戦できる

種田伝統産業、芸術文化に携わる人間として、「変えていいこと、変えてはいけないこと」についてはよく聞かれると思うのですが。
笹岡基本的に何でも変えていいと思っています。伝統は革新の連続ですから。ただ、歴史のあるものには強みがあり、簡単には消えないのも事実です。例えば、「直 角二等辺三角形におさまるようにいける」という江戸時代に編み出された美の法則は、唯一の答えではないけれど、おそらく守ろうとしなくても残っていくも の。それだけの力強さがあるからです。だから、私たちは守ることよりも、時代に合ったものを模索し、変えることに注力すべきだと考えています。
鈴鹿うちが扱うのはお菓子ですから、絶対に変えられないのは「おいしいこと」です。「米粉と砂糖を混ぜ合わせてニッキで香り付けする」という八ッ橋の定義は守 りつつ、時代とともに変わる人の味覚に合わせて、組み合わせる素材を変えていきます。私たちは毎日八ッ橋を口にし、「ニッキが少ない」と感じれば、変えて みたりする。これまでの経営者たちも同じようにしてきたでしょうし、長い目でみれば時代に沿って味が変わっている、ということです。
伊藤伊と忠とは別立てで、雑貨などの新しい事業を加えたりしているのであって、自分としては「変えた」という意識はありません。でも、守るべきことはある。そ れがタッチ・ポイント(顧客接点)に関わる部分。例えば、草履はわずかな料金で細かなオーダーに応えてきましたが、それは履物店のイメージに直結する部分 ですから、変えてはなりません。
逆に皆さんにお聞きしたいのは、「思い切って変えた」ことやその結果どうなったか、というところです。
笹岡前家元とは違い、今は自ら広報を兼ねて外に出て行きます。また、「空間を大事にする」いけばなの原点に立ち返り、いけばな展をお寺で開催するようになりました。でも、自然の流れの中での変化であって、思い切ったという感じではないですね。
鈴鹿小学生の頃、母がカフェをプロデュースしていて、生八ッ橋を重ねたミルフィーユとか斬新なメニューを出していました。私はその味が大好きで、また食べたい から自分でつくろう、と。自分にとっては懐かしい味の商品をつくり、八ッ橋の魅力を知ってもらう入口を増やそう、というくらいの気持ちでした。
伊藤皆さん、伝統の中で変えたり、新しいことに挑戦できるのも、絶妙なさじ加減を知っているからなんですね。

伊藤 忠弘さん

京都大学時代に得たものが
今に生きているか?

種田私の京大生時代はバブル景気のまっただ中。薬学部の研究室には世界トップレベルの研究をする人が多くいたし、アメフト部の黄金期で、非常に高揚感に満ちた時代でした。
笹岡私は大学に行くのは夜ばかり。10時頃から製図室に人が集まり始め、図面を引き、夜食を食べに行き、時にドライブに出かける。古建築の実測なども楽しい思い出です。
鈴鹿ゼミの先生が野球の阪神ファンで、甲子園に行ったことも。で、次の授業は、阪神が優勝した時の経済効果を考える。留学するか悩んでいた時も、行きなさいと背中を押してくれました。
伊藤私はほとんど授業に出席していなかったんです。法学部でしたが、将来その道に進むつもりがなくて。専門のための学び以外に、「大学での学びによって将来の自分につながる何かを得られる」と感じることができれば、もっと違った大学生活があったかもしれません。
種田研究室の仲間は、学会発表の際の追い込み方がすごかった。データを根気よく集め、当時は手書きでグラフを書いていましたが、優秀な研究者ほど妥協しない。今、仕事で出会う一流の人たちもそうですが、より良い仕事をするために妥協を許さず、徹底的に追い込んでいく。私も大学で学んだこととは違う道を歩んでい ますが、学生時代に一流の人たちのやり方を間近に見られたことは、大きな財産でした。
笹岡私は日本建築の歴史を専攻していましたが、左右非対称のデザインなど、日本建築といけばなには共通する美意識が多いんです。体で覚えてきたいけばなの美に も理論的な裏付けがあることを知り、「ロジックによっていけばなを紹介する」ことが自分の仕事であり、「いけばなの発信が日本の発信につながる」と思える ようになりましたね。

笹岡 隆甫さん

京都の未来のカギを握るのは
大学と地元が一体となること

種田それぞれの立場から考える京都の未来とは、どういうものですか。
笹岡私たちがどこでも誰かに出会うように、世界中の人が京都に来れば、さまざまなジャンルの誰かしらと会うことができる。京都をそういう空間にしたいですね。
鈴鹿京都の良さは、古い伝統や習慣が今も日常生活の中に生きていることです。その機会をなくなさいためには、提供する側が生活に取り入れやすいようにする必要があります。私の場合、八ッ橋を日々食べてもらえるおいしいお菓子にすることです。
伊藤我々、中小の伝統産業がなすべきは、京都の世界的観光都市としての価値の高まりをビジネスチャンスに替えることです。伝統産業の盛り上がりは京都の活性化につながりますから。
種田それでは最後に、京大に期待することがありましたらお聞かせください。
笹岡これからの京都の重要なキーワードは「×(かける)」です。文化をかけ合わせることで、新しいものが生まれます。私も今年、琳派400年記念のイベントを 京大の教授と狂言師と一緒に行いましたが、歴史と伝統があり、多様な文化の担い手がいる京都だからこそ可能なこと。京大はもちろん、世界中の人にかけ算に 加わってもらえる機会をつくっていきたいですね。
鈴鹿盛んに言われる「グローバル化」も、大学と地元が足並みをそろえることで、「おもしろいこと」ができるはずです。
伊藤私は京大生の就職について、お願いしたい。京大生は国を背負う仕事をすべきだと思っているけれど、それは政治家になるとか、大企業に勤めることだけじゃな い。中堅・中小企業に勤めたり、起業することで、本来の力を最大限発揮できるかもしれない。大学には、さまざまな選択肢を学生に示してあげてほしい。そう して、一人ひとりの能力が生かされれば、京都の力、さらには日本の力は強くなるはずです。
種田我々の業界にとって、大学は技術を担保してくれる拠り所です。以前、名古屋の絞り業界が特許の取得に乗り出した時、京大の先生に調査を依頼して、京都の技 法だと定義してもらいました。現在、伝統産業が抱える技能継承の問題も、明確なスタンダードをつくるという一つの解決策に対して、京大に後押ししていただきたい。
それぞれ立場によって思い描くことは異なりますが、大学も地元も一緒になって京都を盛り上げようという気持ちは一緒なんだと改めて感じました。本日はありがとうございました。

鈴鹿 可奈子さん

(開催日:2015年9月)




■京都大学楽友会館■
1925(大正14)年に京都大学創立25周年を記念して建てられた。鉄筋コンクリート2階建ての瓦葺きで、スパニッシュ・ミッション様式を基調とした外装と室内装飾は大正建築 の特徴をよく伝えており、1998(平成10)年に国の登録有形文化財に指定されている。2010(平成22)年9月に改装を終え、当時の趣を残して会議室や喫茶食堂を備えた会館として再生した。