Vol.3 鼎談

京都国立博物館長・独立行政法人国立文化財機構理事長
佐々木 丞平さん

SASAKI JOHEI 1941年兵庫県生まれ。1965年京都大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。1967年同文学研究科修士課程修了、1970年同文学研究科博士課程単位取得退学。1970年京都府教育委員会事務局技術職員、1972年文化庁文化財保護部美術工芸課、1979年文化庁文化財保護部美術工芸課文化財調査官。1990年京都大学文学博士。
その後、京都大学教授、京都大学附属図書館長、京都大学大学文書館長などを経て、2005年に独立行政法人国立博物館京都国立博物館長。2007年より独立行政法人国立文化財機構理事長、独立行政法人国立文化財機構京都国立博物館長。
受賞歴は1997年國華賞、1999年日本学士院賞、2000年フンボルト賞。

京都市美術館長
潮江 宏三さん

SHIOE KOZO 1947年香川県生まれ。1969年京都大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。1974年同文学研究科博士課程を終え、京都市立芸術大学美術学部助手に採用。大学では中世以後20世紀美術に至るまでの西洋美術史を広く講じた。1994年教授。1998年「銅版画師ウィリアム・ブレイク」で大阪大学文学博士。2007年京都市立芸術大学長、2011年からは京都市美術館長。2012年京都市立芸術大学を定年で退任。現在、京都市立芸術大学名誉教授。
専門はヒリヤード、ブレイク、カンスタブル、ターナーなどイギリスを中心とした西欧の近世・近代美術。

先生のひと言と作品の複雑さにひかれ
日本美術史と西洋美術史を選択

山極おふたりは京都大学文学部哲学科に入学され、佐々木館長は日本美術史、潮江館長 は西洋美術史を選ばれていますが、早い段階から専門は決めておられたのですか。
佐々木入学当初は西洋文学へのあこがれがあったのですが、教養部の教授がある時、「日本の芸術もいいよ」と、ぽつんとひと言おっしゃったんです。私の父は日本美術が好きで、 子どもの頃から掛け軸などが身近にあったので、先生の言葉で、心に火を灯されたようでした。急に日本のものに目が向くようになり、そうなると京都は格好の場所です。
山極我々が子どもの頃は、日本のものは古くさく、舶来物に価値があるとされた時代でしたから、やはり西洋へのあこがれは根強かったですね。潮江館長もそれで西洋美術史を選ばれたのですか。
潮江私の場合、高校時代に井島勉教授の著書の一部を読んでいて、美学を専攻しようと決めていました。ただ、美学の概念的思考よりも、具体的な作品を相手にする美術史のほうがおもしろくなって、しかも、なじみも知識も少なく、" わからないこと" を探し求めようと、西洋美術史を専門にしました。天邪鬼な選択です。当時、京大には西洋美術史専門の先生はいなかったのですから。
山極理論的研究よりも作品研究に魅せられたのは、なぜでしょうか。
潮江理論的研究はロジカルに1つの結論に導く作業ですが、作品は簡単に答えを出してくれません。同じ作品でも、切り口や自分の年齢によって、全く違うものに見えることがあります。作品は実に複雑な構造を持っている。それがおもしろそうに感じたんです。寺社等を訪れて美術品を実地見学する美術史演習の影響も大きかったですね。作品を前に先生の解説を聞き、先輩たちの議論を横目に、自分なりに解釈し、いろいろな見方があることを実感したものです。

それぞれが進んだ道は
文化財保護の現場と制作の現場

山極佐々木館長は日本美術に目覚め、京大を卒業されてからの道のりはいかがでしたか。
佐々木在学中に、京都府教育委員会の文化財保護課でアルバイトを始め、名品図録をつくったり、現場調査の下働きをしていたのですが、大学院修了とともに職員になりました。美術史という作品を学問として扱う世界がある一方で、学問の研究対象を守る現場がある。学問を成り立たせるために、文化財を保護し継承する必要がある、と思うようになったからです。その後、文化庁文化財調査官になって日本全国の文化財保護に関わり、文化財を保護しながら、多くの人に見ていただく博物館の仕事にたどり着きました。
山極私の研究対象であるゴリラはものをつくらないので、文化として形には残りませんが、美術品という" もの" があって、ものからは作者の意図や感覚だけでなく、文化的な歴史も読み取ることができる。ただものを残すだけでなく、それらの背景を繙き継承することも、求められるのではないでしょうか。
佐々木おっしゃる通りだと思います。素材は何か、どんな技術を使っているかなど、作品の見方は限定的ですが、背後には幾重もの層があります。作者の経験、思想だけでなく、歴史や伝統の積み重ねがある。目の前にある作品は、いわば氷山の一角。作品研究は、つねに水面下の部分にまで思いを巡らせなければならないものです。
私はよく、芸術文化を" 樹" に例えます。現代の文化がきれいな枝葉をつけられるのも、伝統文化や文化財という根や幹がしっかりしていてこそ。その根幹を研究し、継承することも大きな使命です。
山極潮江館長は大学院修了後すぐ、京都市立芸術大学の助手になられました。
潮江詩人であり画家・銅版画家であるウィリアム・ブレイクを研究対象としていて、博士課程修了間近に美学会で発表したものが、美術史の論文誌に掲載されました。そのキャリアのおかげで、講義も行う助手という立場で採用されました。
山極美術史を学んだ人間が、京都芸大という制作の現場で働くことは、ご苦労も多かったのではないですか。
潮江それはあります。例えば、今を生きる画学生にとって、昔の先端を生きていた人とのギャップは大きく、実感を持って理解できないことが多い。先人がどんな価値観で描いたのか丁寧に説明することで、ギャップを埋め、学生の自由な解釈を促すよう心がけました。また、作家として活躍しようと思えば、作品を言語化する能力は必須なのですが、その訓練をせずに制作を始めている学生がほとんどです。言語化能力を鍛えることが、制作現場での、我々理論畑の教員の役割でもあります。

博物館と美術館における
展示の工夫のしどころ

山極おふたりは研究者であると同時に館長でもありますが、博物館・美術館という場における展示には、どんな苦労や工夫がありますか。
佐々木特に決まりはありませんが、博物館が扱うのは縄文、弥生時代から江戸末期、せいぜい明治初期くらいまで、それ以降は美術館の領域、という認識をお互いに持っています。つまり、博物館が扱うのは非常に古いものが多く、まず温湿度、照明など収蔵品にとって最良の環境をつくることが第一です。国際的観光都市・京都の博物館としては、世界中の人に楽しんでもらえる展示を考えなければなりませんが、難しさもある。海外の方は、「昨年はこんな作品があったのに、なぜ今はないのか」という質問をよくされます。ルーブル美術館に行けば、いつもモナリザが展示されていますから。でも、日本ではできない。我々は約1カ月ごとに作品を入れ替えます。
山極そんなに頻繁に? 理由は、日本の気候ですか。
佐々木いえ、素材のためです。日本の文化財は紙や木、漆といった素材が多い。しかも、定着材に使われる膠(にかわ)は、温湿度に敏感で非常に弱く、長期間の展示はできません。
潮江その点、油絵は丈夫ですから、展示の決め手は照明による仕上げ、いわばお化粧になります。保存のために光量は落としつつ、際だって見せるような工夫こそ、展示の醍醐味です。もうひとつ、美術館の展示で大切にしているのが"ストーリー性"です。どんな歴史的背景、プロセスを経て、作品が完成したかわかるような並べ方を考え、かつ、さまざまな構造を持つ作品を、いかに斬新に見せるかに心を砕きます。

京大、京博、京都市美の存在意味とは

山極私は、京都大学が帝国大学として"2 番目にできた" 意味は大きいと考えています。西園寺公望は、官僚養成のための東京大学とは違い、京都大学は自由かつアカデミックな雰囲気にしたいと構想しました。その経緯もあって、京大は独自の学風を育て、卓越した研究者を輩出してきたのでしょう。おふたりは京都国立博物館、京都市美術館の存在意味について、どのようにお考えですか。
佐々木明治政府は維新後、西欧の列強に対抗できる強さを目指して殖産興業を図り、文化面でも活気を持たせようとしました。1872(明治5)年には博覧会を開催、それが東京国立博物館の始まりであり、相対的な日本の文化や総合性を見せる役目を果たしてきました。一方、京都は廃仏毀釈が激化し、欧米文化を是とする価値観が入り込んできたため、伝統文化財は存亡の危機にありました。
その状況に対し、お雇い外国人が警鐘を鳴らし、日本の文化を守るべく活動を始めたのがフェノロサであり岡倉天心です。京都の調査も進められるうち、博物館をつくって伝統文化財を守ることになりました。東京国立博物館創設とは成り立ちが違います。加えて、1200 年の歴史を持つ京都だからこそ、至る所に存在する文化財をきちんと調査し、新しいものを発見し、展示をする。これが今に貫かれている京博の姿勢です。


潮江京都芸大の母体である京都府画学校は1880(明治13)年に創設されました。東京遷都によるパトロンの喪失や伝統文化の冷遇を背景に、美術家は学校をつくり、新しい道を拓こうとしました。市民も後押しして、画家や工芸作家を育て、作品を輸出商品へと仕立てていきました。京都のしたたかさですね。自主的な精神はその後も生き続け、京都市美術館創設も市民からの寄付によって実現しました。竹内栖鳳という日本画家の旗振りによって、作家からも多くの寄付が集まっています。彼らの作品も多く寄贈いただき、現在、核のコレクションとなっています。それだけに、京都市民は「うちらの美術館」という思い入れが強く、展覧会に対する目も厳しい。
山極美術館は現在改装中ですが、市民の熱い思いにどう応えようとされているのですか。
潮江まず、今までできていなかった常設展示を行い、京都の近代美術をアピールします。そして、現代美術の有能な作家は、かつてのように東京に出て行くことなく、京都や大阪で活動しているので、彼らの作品発表の拠点をつくります。今回、現代美術用ギャラリー「ホワイトキューブ」をつくり、そこを基盤にして、さらに若い作家を育てたいと考えています。京都市民や京都画壇に支えられてきた美術館ですから、100 年後によりすばらしい美術館として残すために、新たな作家と作品を生み出すことも、我々に求められている役割だと考えています。

キャリアを切り拓くために
大学時代になすべきこと

山極自分の道を切り拓くために、大学時代に何をし、どんな能力を磨くべきか。思うところはありますか。 佐々木館長は、入学後まもなくアメリカ人の友人ができ、共に日本中を旅されたそうですね。当時としては珍しいことだったでしょうが、異文化に身近に触れたことは貴重な経験だったのではないでしょうか。
佐々木彼とは今も付き合いがあり、本当にかけがえのない出会いでした。今の時代、望みさえすれば世界の人々と交流する機会はたくさんあるわけですから、学生には積極的になってほしいですね。
そうは言うものの、私は学生の頃から自己主張が苦手で、調和型と言うのでしょうか。館長の仕事においても、人の話を聞いて「では、この方法はどうか。こう進めよう」と皆が納得できるよう調整していきます。現在の教育現場では、自分の考えを持って発言できる力を養うことを重視します。必要な力ではありますが、まず相手の言うことをよく聞き、何が違うのか、何がより良いのか、じっくり咀嚼するという理解の仕方を、学生時代に身につけることも大切だと思います。
というのも、私は文化の「文」は「あや」であり、文化とは「あやなされた織物」だと思うからです。文化を美しく織り上げるには、縦糸と横糸のどちらかだけが突っ張ってはいけない。人間関係も同じです。
山極よくわかります。それこそ、リーダーにとって大切な資質だと思います。京大がモットーとするのも「" 対話を根幹とした" 自学自習」ですから。独りよがりに学習するのではなく、人と対話をしながら、自分の考えを紡ぎ出していくことこそ、京大の伝統です。 潮江館長は、「芸術分野を志す人へ」という視点でいかがでしょうか。
潮江日本の美術マーケットは縮小傾向にあって、作家だけでなくキュレーターなどとして活躍しようと思えば、海外に目を向け、対等に交渉し、プレゼンできる力が必要です。京大のアカデミックな雰囲気の中、自分の道を確認しながら過ごす時間は意味あるものですが、その先は海外を含め現場に積極的に出て行き、新しい経験を積まなければなりません。
何より重要なのは、感性を育てること。" 開かれた心の姿勢" で多くを吸収したうえで、大学で学ぶ語学や知識を" ツール" として加えることで、可能性は広がります。そして、多くの作家に接し、作品を見ることで、柔軟でオリジナルな発想力を磨いてほしいですね。

作品は見なくてもいい
博物館、美術館に足を運んで感性を磨こう

山極特に理系分野においては、想像力や創造力は機能や効率に集約される傾向がありますが、美しさとは別のものです。美しさを見出し、生み出せるための感性を育てる場は、残念ながら、今の京大には多くありません。
佐々木潮江そのためにも「博物館」「美術館」に来てください!
山極ぜひ学生に行かせたいです。
佐々木感性を磨き上げるため、作品を見なくてもいいから博物館という空間に足を運んでください。イベントを見に来る、というのでもいい。ミュージアムというのは、ミューズの集まる殿堂。あらゆる感性が集まる場所なんです。ですから、学生たちにはとにかく博物館に足を運び、独特のオーラを感じてもらいたいですね。
潮江そして、作品の並び方に着目し、展示した人たちの考え、歴史の解釈を想像し、感覚を研ぎ澄ます。そうした使い方によってこそ美術館、博物館は生きてくるのです。
山極博物館、美術館と京大とが連携することで、素材や場が広がり、京都全体がキャンパスとなります。ぜひ一緒に、若者たちの感性を磨いていきましょう。本日はありがとうございました。

(開催日:2016年2月)




■京都国立博物館■
1889( 明治22)年設立。京都の社寺からの寄託品をはじめとして、日本および東アジアの美術品・文化財など約13,000点を収蔵。平常展示館「平成知新館」では、考古・陶磁・彫刻・絵画・書跡・染織・漆工・金工の分野ごとにテーマを設け、紹介している。赤レンガ造りで重要文化財指定の本館「明治古都館」は、改修工事のため現在休館中。


■京都市美術館■
1933(昭和8)年、京都で挙行された昭和天皇即位の礼を記念して開設された。東京都美術館に次ぐ日本で2番目の大規模公立美術館。明治以降、1990年代初期までの日本画・洋画・彫刻・工芸・書・版画など約3,100点を収蔵。海外展や公募展、コレクション展など市の主催、共催のほか、美術団体による展覧会等も多数開催している。


■京都大学総合博物館■
京都大学が開学以来、収集してきた学術標本資料約260 万点を収蔵。日本の大学博物館としては最大規模を誇る。文化史・自然史・技術史の分野に分けられ、土器や石棺などの考古学資料から古文書・古地図、化石や貴重な生物標本、熱帯雨林を再現した「ランビルの森」など展示物はバラエティ豊富。子供向けの体験型イベントなども随時開催している。