Vol.6 対談

S&R 財団最高経営責任者(CEO)兼理事長
久能 祐子さん

KUNO SACHIKO 1954年、山口県下松市生まれ。1977年京都大学工学部卒業。1981年ドイツのミュンヘン工科大学に留学。1983年京都大学大学院工学研究科博士課程修了。工学博士。1983年、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)で生命科学分野の研究に携わる。
1989年には株式会社アールテック・ウエノを医薬品の研究開発、製造販売を目的に設立し、パートナーの上野隆司博士が1980年代に発見した「プロストン」に基づく医薬品の第1号、緑内障および高眼圧症治療薬であるレスキュラ®点眼液を開発、1994年世界に先駆けて日本で発売。1996年には上野氏と共にアメリカでスキャンポ・ファーマシューティカルズ社を起業し、CEOとして新しい医薬品の開発、商品化に取り組む。2006年には第2のプロストン医薬品となるアミティーザ®が、FDA(米国食品医薬品局)から突発性慢性便秘治療薬として販売許可承認を得るのに成功した。
また、2012年には革新的なワクチン開発を目指す、3社目の創薬ベンチャー・VLPセラピューティクスを共同創業。
一方で2000年には若い科学者、芸術家への支援を行うS&R財団を設立し、現在は理事長としてさまざまな社会貢献を行っている。
雑誌フォーブスが2015年に発表した「アメリカで自力で成功を収めた女性50人」では、唯一の日本人としてリスト入りした。

自分の"得意"に気づいた
ライフチェンジングなドイツ留学

山極私が1970年に京都大学理学部に入学した時、女子学生は300人中6人だけでした。久能さんは私より2歳下ですから、工学部も似たようなものだったでしょう。当時の女子にとってあまり魅力がなかったはずの工学部を、なぜ選ばれたのですか。
久能もともと理系で、姉が京都大学工学部に通っていたことに加え、子どもの頃はあまり社交的ではなくて、なるべく人と付き合わないでできる仕事として、研究の道を選びました。工学部に入ってみたら、1,000人中、女子はわずか6人だったのですが。
山極そんな環境で研究者を目指して大学院に進学され、博士課程の時にはドイツ留学までされました。
久能恩師の福井三郎教授が、男性ばかりの中で研究者を目指す私を心配して、ミュンヘン工科大学のリサーチアシスタントに推薦してくれたんです。
山極女性研究者が少なく、メールなどない当時、勇気のいる決断だったでしょう。
久能思い切って飛び込んだ先は、女子学生も女性研究者もいて、みんな自由に研究している世界でした。立場上わずかながら収入があり、他大学で講演した時も、博士課程であるにもかかわらず講演料をいただきました。そうしたことが研究者の道へ進む決意を後押ししてくれたように思います。
また、自分ですべて切り拓かないといけない環境が、かえって良かったのでしょう。苦手だったコミュニケーションをはじめプレゼンテーション能力などが大きく成長したと思います。私にとってライフチェンジングな経験でした。
山極よくわかります。私も研究対象をニホンザルからゴリラに変更して、アフリカに数カ月間滞在するようになり、日本人なんて誰もいない中、交渉力や決断力など、多くのものを養いました。
久能違う環境に身を置き、少しストレスがかかる状況にいると、自分の"得意"を発見することがあります。
山極久能さんが気づいた自分の能力は何でしたか。
久能「孤独に強い」ことです。一人で考えるのが好きで、自分で決断してもなんとかなるんです。
山極孤独に強いというのは実は重要なことです。ICT社会の今はつねにオンラインの状態ですから、すぐ誰かに相談してしまうことになり、自分で考えて決定できない若者が増えていることが問題となっていますから。
久能当時、何かを決める時、質問している自分と答えている自分がいたように思います。若い時のそうした訓練が今に役立っています。

研究者から創薬ビジネスへ
成功の秘訣は「成功するまでやる」こと

山極さまざまな経験をしたドイツ留学からの帰国後はいかがでしたか。
久能帰国して工学博士を取得し、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)で早石修生物情報伝達プロジェクトの特別研究員となりました。そこで、後にパートナーとなる上野隆司博士と出会いました。
山極上野博士が当時すでに構想していた「プロストン仮説」の正しさを確信されたそうですね。
久能上野が発見した機能性脂肪酸群である「プロストン」という物質が、中枢神経や細胞修復の過程で特殊な役割を持っているという仮説、これを私は「大発見だ」と思って、いかに早く証明すべきか考えたんです。
山極それで事業団を退団され、1989年にアールテック・ウエノを設立されたんですね。今で言うバイオベンチャー。研究者の道から創薬ビジネスの世界への転身には、迷いなどなかったのですか。
久能大学等で基礎研究をするよりも、患者の役に立つ薬を開発したほうがいい、という思いのほうが強かったですね。
山極一番の苦労は資金繰りだったとか。
久能当時はベンチャーキャピタルなんてありませんでしたから、上野の父が社長を務めていた上野製薬にスポンサーとなってもらい、研究を進めました。結果、創薬に成功するまでに80億円くらい使ってしまって。ようやく認可にこぎつけ、発売に至りましたが、2回目の新薬挑戦には、上野製薬から資金は出ませんでした。思い切って1996年、アメリカ に移住して、2社目のバイオベンチャーとなるスキャンポ・ファーマシューティカルズを設立しました。
山極資金繰りなどご苦労はあったものの、最終的に新薬の開発、発売にこぎつけたわけですが、成功の秘訣とは何だと思われますか。
久能今考えると、成功の秘訣というのはとても簡単です。「成功するまでやる」こと。
山極おもしろい。それは「あきらめない」ということなのでしょうか。
久能少し違う気がします。大切なのは、山頂が見えている感覚なんです。私たちの場合、この山に登れば新薬ができる、とわかっていて、途中で雲が出て山頂が隠れてしまっても、山頂はイマジンすることができます。
山極てっぺんが見えているから、あきらめようとは思わない、ということですね。

失敗にくじけず、ビッグビジョンを持って
スモールステップを

山極「成功するまでやる」とは言っても、目標が高ければ高いほど、簡単なことではありません。研究でも同様ですが、目標に到達するためには、小さな問いをいくつも立て、一つずつ解決しながら進んでいくしかない。目標に近づいている実感が持てず、苦しむこともあるし、目標そのものが揺らぐこともあります。
久能結局、「ビッグビジョン」をつねに確認しながら、「スモールステップ」を積み重ねるしかないのですが、ある研究者が言うには、成功にしろ失敗にしろ、スモールステップを数多く重ねている人ほど、ビッグビジョンは揺るがないそうです。 それに、いきなりビッグ・ハードルを越えようとすると、失敗した時のケガが大きいし、ケガを恐れてリスクが取れなくなってしまう。スモール・ハードルを越える訓練をしていれば、たとえ失敗してもケガは小さくて済むし、徐々にケガをしない方法を身につけていきます。
山極そういう久能さんご自身、大失敗をしたことはないのですか。
久能うーん。たぶんあるはずなのですが、忘れているんですね。失敗してもすぐに次を見つけて行ってしまうので。
山極すばらしいことです。私が立ち上げた「WINDOW構想」の中で、「O」の標語として「Original&Optimistic」を掲げています。人とは違う独創的な発想は、時に他人から批判や否定をされることがある。それでもくじけないために、Optimistic(楽観的)であることはとても大切です。久能さんもOptimisticな面があるのかもしれません。
久能よく言われます。あと、小回りがきくという意味のNimbleとも。自分の決断を、違うと思えばすぐ変えることができますから。これも貴重な資質だと思っています。

自分で考え決断し行動する
その積み重ねが「自分ならできる」という自己効力感を生む

久能80億円もの借金をつくったり、普通なら「こわい」と思うことをやってきて、それでもあまり「こわい」と感じなかった。なぜだろうと思って研究してみたら、「Self Efficacy」が大きく影響しているようです。
山極 Efficacyというと、効力ですか。
久能はい。「自己効力感」と訳されます。Self Confidenceは自分が過去にやったことに対してつく自信ですが、Self Efficacyは自分はできるという、未来の自分を信じる気持ちなんですね。私も、根拠はないけれど成功しそうな気がする経験をたびたびしてきました。
山極 自己効力感は、どこから生まれたと思いますか。
久能 1,000分の6の女子として、また留学先で、自分一人で考えて決断し実行してきたことが自信につながり、未来の自分も「やれる」と信じられるようになったのではないかと思います。
山極松下幸之助が「この人は将来成功する」と思う条件の1つに「運が良さそうに見える」ことを挙げています。運の良さそうな人は雰囲気として表れるし、人もついてくる。久能さんも、培ってきた自己効力感を持ってまっすぐ突き進んでいたから、運が良さそうな雰囲気を醸し出していて、人が助けてくれたのかもしれませんね。
久能そうですね。私自身は迷うことなく進んでいましたが、物心両面、いろいろなサポートをしてくれる人に恵まれました。
山極投資してくれる人にどう見えるかも重要でしょう。
久能それはあるでしょうが、私の長いファンドレイジング人生からすると、欲しいと思った時は意外とダメなんです。「誰も賛成してくれなくても、自分一人でもやる」。私は"きれいな心"と呼んでいますが、そんな気持ちになった時に、投資家はじめいろいろな運がついてくる、という感じがしています。
山極なるほど。本学も2022年に125周年を迎えるにあたって記念事業募金を実施しますので、参考にさせていただきます。

イノベーションに必要なのは
オープンでダイバーシティな環境

山極現在は、社会起業家や芸術家を支援するS&R財団のトップとして積極的に活動なさっています。財団のコンセプトは「イノベーションやソーシャル・インパクト(社会的利益)をつくり出して世の中をより良くする」だそうですが、アメリカではフィランソロピー(社会貢献)がさまざまな形に発展していますね。
久能アメリカでは、リーマン・ショック以前の利益第一主義のビジネスモデルに対する反省から、経済的リターンだけでなく、社会的リターンも同時に追求する考え方に変わりつつあります。
山極アメリカは寄付文化が根づいていますが、何が違うのでしょうか。
久能もう一歩進めて、今まで寄付で行っていた事業を、サステイナブルなビジネスモデルとして確立を目指す点が違います。
山極一連の流れの中、イノベーションはあらゆる場面で求められ、本学も「WINDOW構想」の「I」として「International&Innovative」を掲げていますが、ではどうすればイノベーションを起こせるかは大きな課題です。久能さんが考えるイノベーションに必要なことは何ですか。
久能ずばり「オープン」と「ダイバーシティ」な環境です。そもそも、イノベーションを起こす方法なんて教えられるものではなく、情報量が指数関数的に増える時代、私たちの知識はすぐに陳腐化して、次世代に伝えることは難しくなります。私たちにできるのは、イノベーションを起こせる環境を整えてあげることだけ。財団の本部である歴史的建造物で、芸術家や科学者、起業志望の若く才能ある多彩な人たちを住まわせているのは、そうした環境づくりの意味でもあります。
山極オープンでダイバーシティな環境がなぜイノベーションを起こすのでしょうか。
久能多様な人が集まれば集まるほどストレスは増えるものですが、私自身のドイツ留学の経験から、人間にはちょっとしたストレスは有効に働くのだと思います。あまりに快適な環境にいると、イノベーティブではなくなります。
山極たしかに! 日本でイノベーションが起こせなくなったのは、1970年代後半から1990年代にかけて安定状態になったためと言われています。
久能緊張感は大切な要素なんです。京大はそれに近い環境ではないでしょうか。
山極「WINDOW構想」で、大学は「窓」として位置づけ、標語にもあるように、まさにオープンかつダイバーシティ。あとは、もう少し緊張状態が必要かもしれません。

さまざまな人や世界に出会い
自らを縛るリードを外して飛び立とう

山極毎年、10人くらいの京大生をワシントンDCに短期留学させ、同じ場所に住み込んで国際機関や大学を訪れる「グローバルリーダーシップ・プログラム」に全面的にご支援いただいています。また、このたびはお母様の悠子様のご寄付により久能賞が創設され、理系女子学生への奨学金に充てられています。学生に多大なご支援いただき、ありがとうございます。今の京大生たちと接していて、どんな印象をお持ちですか。
久能私たちの学生の頃より数倍勉強していて、知識は豊富でマナーもスマート。ワシントンでは京大生は高い評価を得ています。あえて言うなら、自分で決めることが苦手だったり、新しいことを始める時に躊躇するところはあるでしょうか。
山極おっしゃる通りです。京大生に限らず、今の学生たちは、現在より未来を悲観視する傾向があるようです。経済成長は滞り、暮らしぶりが向上するとも思えない、今の幸福を維持しようと考えて、守りの姿勢になっています。
久能現状を打開する方法として、やはりいろいろな人に会い、違う世界を知ることが必要だと思います。今が幸せだと思っていても、また別の形の幸せがあるかもしれない。学生の間に短期でもいいから留学を経験して、自分の人生はダイバーシティに富んでいることを知ってほしい。
私は、プログラムに参加する学生によくこう言います。「Unleash(アンリーシュ) Unlock」。リーシュというのはリード、つまり首輪のことです。
山極リードや鍵を外しなさい、と。
久能みんな、ポテンシャルは高いのに、新しいことをしようとすると、目の前に壁があるように感じてひるんでしまう。リードに縛られているだけで、本当は壁なんてないんです。
山極誰がリードを握っているのでしょう。
久能1つは自分自身。もう1つは親や家族でしょう。
山極先日、東京の女子高校の校長たちとお話しする機会があり、今の女子高生の親は子どもを手放したがらない、京大が魅力だと思っても、行かせたがらないとおっしゃっていましたが、一例でしょうね。
久能どちらにせよ、リードを切るのは自分しかないわけで、さっさと切って前に進みなさい、と言っています。ただ、勢いよく走り出すとケガをすることもあり、自らの歩く速度、走る速度をコントロールする必要はある。それさえできるようになれば、こわいものはありません。
山極海外でそうした話を聞くことは、学生たちにとって大きな刺激。自信やチャレンジ精神、決断力などを育て、一回りも大きくなって帰ってくることでしょう。貴重な機会づくりに、今後もご協力お願いします。

(開催日:2016年10月)