Vol.11 卒業生からのメッセージ

卒業生からのメッセージ 「第12回 京都大学ホームカミングデイ」特別企画

"夢"を見ることからすべてが始まる


2017年11月3日のホームカミングデイ当日、今年で3 回目を迎えた卒業生と在学生の交流イベントとして、講演とパネルディスカッションを実施。多様な分野で活躍する卒業生が、それぞれどんな"夢" を見ながら道を切り拓いてきたかを語り、参加した在学生や卒業まもない若人たちは、仕事への向き合い方などを考える機会となった。

第1部 講演



九州旅客鉄道株式会社 代表取締役会長
唐池 恒二 さん
KARAIKE KOJI 1953年大阪府生まれ。1977年京都大学法学部を卒業。同年、旧・日本国有鉄道に入社。1987年に国鉄の分割民営化により九州旅客鉄道株式会社(JR九州)に入社。特急「ゆふいんの森」やSL快速「あそBOY」などのリゾート列車、博多-釜山間の高速船「ビートル」の企画を手がけた。1996年にレストラン経営を業とするJR九州フードサービス株式会社代表取締役に就任、同社を黒字化、東京進出も果たす。
2009年よりJR九州代表取締役社長、2014年代表取締役会長に就任。2013年には日本初のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」を実現させ、日本各地にJR九州の名を認知させる。2016年に東証一部に株式上場。



世界一豪華な寝台列車運行という
途方もない夢を見ることから始まった


 唐池恒二氏がビジネスにおいて大切にしてきたのは、夢見る力、気を高める力、伝える力の3点だという。何をなすにしても、まずは"夢"を見ないことには始まらない。
 「ソフトバンク創業者の孫さんは、30年後には売上を1兆、2兆と豆腐屋のように数えられる会社にすると豪語し実現しました。ほかにも"世界一の会社にする"と掲げた創業者は何人もいます」。
 途方もなく思えるような夢を描き、実現に向けてあらゆる知恵と力を振り絞ることが、成長の原動力となる。
 唐池氏にとってのその夢が「ななつ星in 九州」――世界一豪華な寝台列車の運行だった。
 唐池氏が社長に就任したのは2009 年。計画から約40年の悲願だった九州新幹線の全線開業を2011年3月12日に控えており、まもなく一つの夢が達成されるタイミングだった。
 「だから、次の新しい夢を見よう!と」。
 30年ほど前に知人から「九州に豪華な寝台列車があればヒットする」と言われ、その時から温めていた構想だったという。唐池氏は社長に就任してすぐ、豪華列車を走らせる可能性について部下に検討を指示。
 「結果は、いろいろ問題はあるがクリアはできるというものでした。行間には"やりたくない"と書いてありましたが」。
 それでも、開発は動き出した。ななつ星のデザインを担当するのは、唐池氏とのコンビで数々の斬新な列車を生み出してきた、インダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治氏だ。
 「世界一の豪華さとは何か? さすがの水戸岡さんの手が止まりました」。
 世界中の豪華列車に乗車するなどのリサーチを経て、まずはじめに提案されたデザインは、全面ガラス張りの近未来風のもの。珍しく唐池氏はNGを出したという。
 「人が何を豪華、贅沢と感じるかは、それまでの人生経験の中で培われたイメージが大きい。だから、その枠内でつくりましょう、と」。
 2週間後に再提案されたデザインは、これぞまさにゴージャスと言えるものだった。そのデザインをもとに車両づくりが始まる。車体や家具など、最高峰の職人技、技術を投入。客室乗務員も半分は社外から公募し、世界中から輝かしいキャリアを持つベテランが集結した。
 「なぜ手を挙げてくれたのか聞いてみると、"世界一のサービスに賭けてみたかった"と言う。誰しも世界一という言葉に燃えるんです」。
 準備が着々と進むなか、まだ何か足りないと考えた水戸岡氏は、有田焼の陶芸家、先代の十四代酒井田柿右衛門に作品制作を依頼。これが十四代最後の仕事となり、客室の洗面鉢やランプシェード台、オブジェなどが列車内を飾っている。
 「すべての人が"世界一"という思いを共有して完成させたななつ星が2013年、ついに走り出しました」。
 運行開始から4年経った今も、平均予約倍率は20倍超の人気ぶりを継続。JR九州の知名度向上に大きく貢献し、同社の他の観光列車の乗客も増えるなど、まさに牽引車としての役割を果たしている。

"気"が満ちることで感動が生まれる

 2013年10月15日、ななつ星の初走行の日は、九州中から10万人が沿線に駆けつけた。「こんなすごい列車をつくってくれて...」。手を振る住民たちの多くが涙を流したという。
 乗客たちは3泊4日の間に4~5回は泣き、最終日のお別れパーティでは号泣、毎回乗車しているクルーももらい泣きをする。
 なぜこんなにも人が泣くのか?
 「それが"気"の力です」。
 気という言葉を辞書で引くと「生命の原動力となる勢い。活力の源」などと書かれている。
 「気力、気迫、勇気の"気"でもある。個人差はあっても誰もがこの"気"を持っていて、それを高めることで夢は実現できるし、逆に夢を見ないと"気"は高められない。"夢"と"気"は切り離せないものなのです」。
 すべての人の"気"を結集させ、世界一という"夢"をカタチにしたななつ星。
 「そうして満たされた"気"は、感動のエネルギーへと変化します」。
 では、どうすれば"気"を高められるのだろうか。もちろん、一つは夢を見ること。他の方法として唐池氏が挙げたのは、氏自らが体現していることばかりだった。
 「スピードあるきびきびした動き。明るく元気な声。スキを見せない緊張感。よくなろう、よくしようという貪欲さ」。
 最後は、自らの言葉と態度で"伝える力"の大切さまで示して締めくくった。

第2部 パネルディスカッション
未来の自分のために

第2部は京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授をファシリテーターに、3人の卒業生を迎えたパネルディスカッションを開催。それぞれ分野の違う3人が、どんな夢を思い描いてこれまで歩んできたかを振り返りつつ、若人に向けて「やりたいことを見つける方法」などをアドバイスした。

●ファシリテーター●
京都大学総合博物館 准教授
塩瀬 隆之さん
SHIOSE TAKAYUKI 1996年京都大学工学部精密工学科卒業。1998年同工学研究科精密工学専攻修了。博士(工学)。京都大学総合博物館准教授、経済産業省産業技術環境局産業技術政策課技術戦略担当課長補佐を経て現職に復職(技術史担当)。中央教育審議会初等中等教育分科会「高等学校の数学・理科にわたる探究的科目の在り方に関する特別チーム」専門委員。岐阜市教育委員会教育創造会議審議委員。
【学生時代に打ち込んだこと】サッカーやテニス、西田哲学、他大学講義の受講

●パネリスト●
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
イノベーション推進室 企画推進部長
(NTTドコモ 経営企画部担当部長)
大戸 豊さん
OTO YUTAKA 1987年京都大学工学部数理工学科卒業、1989年同工学研究科数理工学専攻修了。1989年日本電信電話株式会社入社、1992年NTT移動通信網株式会社(現・NTTドコモ)へ転籍。1995~1997年ピッツバーグ大学(Master of Engineering)留学。デジタル方式移動通信システム開発、新事業開拓、電子マネービジネス開拓などに携わる。2017年より現任。
【 学生時代に打ち込んだこと】1年生は勉学、2年生はツアーの企画、3年生から院生までは旅行とバイク

●パネリスト●
株式会社レノバ 代表取締役社長CEO
木南 陽介さん
KIMINAMI YOSUKE 1998年京都大学総合人間学部卒業。主専攻は環境政策論、副専攻は物質環境論。1997年、大学在学中に有限会社メディアマックスジャパンを設立し代表取締役に就任。1998年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンを経て、2000年5月株式会社レノバ(旧社名・株式会社リサイクルワン)を設立、2016年同社代表取締役CEO就任。2017年2月東証マザーズに株式上場。
【 学生時代に打ち込んだこと】1~2年生はバックパッカーにはまり、3年生はベンチャー企業でバイト

●パネリスト●
株式会社ジーンクエスト 代表取締役
高橋 祥子さん
TAKAHASHI SHOKO 2010年京都大学農学部卒業、2015年東京大学農学生命研究科博士課程修了(農学博士)。2013年株式会社ジーンクエスト創業、代表取締役就任。2016年第2回ベンチャー大賞「経済産業大臣賞(女性起業家賞)」受賞、2017年第10回バイオベンチャー大賞「日本ベンチャー学会賞」受章。
【学生時代に打ち込んだこと】1~2年生は体育会フィギュアスケート部とドラゴンクエスト、3~4年生は実験と研究




卒業後のそれぞれの道


塩瀬それぞれ専門が違う皆さんに、まずは卒業後のキャリアについてお聞きしたいと思います。高橋さんは大学院在籍中に起業されていますが、そのきっかけは何ですか。
高橋ジーンクエストは、ゲノム(遺伝子)解析サービスを提供しているほか、そこで蓄積されたゲノムデータを匿名化し分析する研究活動を行っている会社です。大学院でゲノム情報解析を生活習慣病の予防につなげる研究をしていたのですが、現時点での研究成果をサービスとして確立して社会に生かすだけでなく、研究を加速させる仕組みをつくれないかと考えたことがきっかけです。
塩瀬木南さんは2度起業されましたが、業種が異なります。
木南1社目のITベンチャーは、学部の仲間と自分たちの能力を試すつもりで始めたのですが、一生の仕事ではないなと。もともと総合人間学部を選んだのは環境の勉強がしたかったからで、原点に立ち戻り、現在のレノバを立ち上げました。再生可能エネルギー施設の開発事業を手がける会社です。

塩瀬大戸さんはご専門が数理工学でNTT入社という流れはイメージできるのですが、現在、東京オリンピックの大会組織委員会メンバーというのはどういう経緯でしょうか。
大戸経営企画部等でプロジェクトや新規事業の立ち上げなどに多く携わった経験が買われたのかもしれません。もともとNTTに入社したのは、子どもの頃にテレビ番組で見た「腕時計型テレビ電話」を実現したくて、それでNTT移動通信網(現・NTTドコモ)にも転籍、開発畑を歩んでいたのですが。
塩瀬現在はどんな仕事をしているのですか。
大戸東京2020大会のビジョンに「史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会とする」というものがあります。私は、そのための施策の企画、推進に携わっています。まだ、コンセプトレベルですが、今後、具体的な施策にしていくことが私の仕事です。
塩瀬学生時代はツアー企画に打ち込んだそうですが、企画づくりが向いていた?
大戸どうでしょう? でも、ある目的のために期間限定でいろいろな人が集まって、アイデアを出しながら成し遂げていくというプロセスはおもしろいと感じています。
塩瀬企業トップである高橋さん、木南さんは自分のアイデアを実現するために、周囲をどのように巻き込んでいくのでしょうか。
高橋自分が何をしたいのか誰にでもわかるように資料をつくります。伝える力が低いと認識していますから。
木南起業の際、「環境を良くすること」と「その中で収益性の高い事業を狙う」という二軸を決めているので、会社の方針として迷うことはありません。
塩瀬 今年、レノバは上場し、一方ジーンクエストは東大発ベンチャーの子会社になる道を選びました。
木南3回目のチャレンジでようやくです。再生可能エネルギーへの転換が進むなか、我々も今後、東証一部上場へステップアップすべく計画中です。
高橋日本はまだゲノム分野のベンチャーに投資が集まるエコシステムが確立されておらず、難しさを感じていました。上場企業の傘下に入ることによって顧客チャネルが広がり、協業によって研究が加速できると期待しています。



学生時代に考えていた未来の自分
そして、これから先のこと


塩瀬学生時代、自分の将来をどのように思い描いていましたか。そして今、10年後、20年後の自分をどう想像していますか。
高橋学部生の頃の夢は研究者で、起業は選択肢にありませんでした。それが院生時代、研究室の先輩とやりたいことを話していたら、「じゃあ会社をつくればいい」と言われて、研究とビジネスを両立させる選択肢があると気づいたんです。今となれば、学生時代に研究に打ち込んだおかげで、研究もわかる経営者という強みを持つことができました。ゲノムに限らず、生命の謎をすべて解き明かし、その研究成果を活用して社会の問題解決に貢献したいという夢は昔からずっと変わらないので、今後も研究を続けながら、最適な方法を考えたいですね。
塩瀬その夢はいつから?
高橋家族に医師が多く、子どもの頃から健康に携わる仕事がしたかったのですが、生命科学の研究に出会って天職だと感じました。仮説を立て、検証を繰り返し、新しい発見をして世界に発信していくという研究のプロセスが楽しい。

塩瀬根っこの部分は研究者だと。
高橋ええ。ただ今後、研究者の生き方は多様化すると思います。今は研究をしたくても大学にポストがあるとは限らないし、研究者もいろいろな生き方、キャリアの進め方を選べばいい。
塩瀬そのほうが研究も加速するでしょうね。研究を極めるため、起業することで研究に携わるという新しい時代の選択を実践していることが、すばらしいと思います。研究大学として、研究に携わる新たな挑戦をされている高橋さんのような人を輩出し続けられる京大であってほしいです。
高橋研究が好きだと思ったのは京大時代。東大生は好きじゃないことも真面目に取り組みますが、京大生は好きなことには全力で取り組むけれど、好きじゃないことは全力でサボろうとする。そのほうが私は好きです。
塩瀬木南さんは、学生時代から今の姿が想像できていた印象ですが。
木南「環境のように難しい問題を取り組む学部をつくる」という総合人間学部設置の理念に共感して入学しましたし、環境に関する仕事をするという方向性も全く変わっていません。今も夢は大きく、具体的なものへと育っています。10年後は現在進行中の事業を成功させることが第一。その先は、日本を飛び出して、"世界最大"の地熱発電所や洋上風力発電施設を計画していると思います。
塩瀬唐池会長も"貪欲さ"が必要だとおっしゃっていました。
木南自分自身も変化したし、時代も変わりましたから。
塩瀬時代の変化に、いかに瞬発力でもってついていけるかが大事なのかもしれません。
大戸私も「移動通信の新しいサービスをつくりたい」という方向性は変わっていません。ただ、開発から経営企画へ移ったことで、さまざまな価値観が入り混じるチームの中で仕事をする楽しさを知りました。それは、今の立場に生きているでしょうね。
塩瀬東京オリンピックは3年後に迫っていますが、10年後くらいを想像すると?
大戸「レガシーを残すこと」は重要なテーマです。1964年の東京オリンピックでのレガシーには、高速道路や新幹線、トイレのピクトグラムなどが挙げられますが、今回も10年後と言わず、何十年後も世界に残るものをつくりたいですね。



今の学生へ伝えたいこと


塩瀬ご自身のキャリアを踏まえて、今の学生さんにアドバイスするとすれば何と言いますか。
高橋やりたいことが見つからない人は、社会に対する勉強不足。加えて、「自分はこれがやりたいか?」と考えたり打ち込んだりする対象が少ないのだと思います。私は生命科学の研究に打ち込んだから、「好き」に気づきました。もっとさまざまな対象について自分の頭で深く考えてみてください。
木南学生時代にバックパッカーをして、日本にいたら決して交わることのない人たちと出会ったことで、幅広い視野で自分の立ち位置を明確にできました。どんな経験も無駄なことはありません。大学を最大限活用し、自分の立ち位置を明確にし、決めた方向に向かって邁進してください。人生は一度きり。ビジョンを大きく育てながら、豊かで充実した人生を築いていきましょう。
大戸学生時代にやりたいことが見つからない人は多いでしょう。でも、貴重な時間を、学生さんは社会人よりも多く持っているのですから、とにかく行動してください。どうしようかと思ったら、まずやってみる。ダメならまた新しい道を探せばいい。試行錯誤ができるのは学生時代の特権です。
塩瀬こういう先輩たちを輩出しているのが京都大学の魅力だと発見できたのではないでしょうか。これからもこうした新しい気づき、出会いのある場を設けていきたいと思います。





イベント開始前に、パネリスト3人と在学生による懇談を行いました。「学生時代に見ていた夢は?」「京大で学んだことが社会に出て役立っている?」。卒業生のリアルな声を聞けるとあって、学生からはどんどん質問が飛び出し、パネリストたちは時に「うーん、それは難しい質問」とうなりながらも、うれしそうに答えていました。パネリストからは「自分の出身学部の学生たちとこんなふうに話せるのは、貴重な経験。ぜひ今後も続けてほしい」といった声をいただきました。

(開催日:2017年11月)