Vol.13 対談

篠田 謙一さん

SHINODA KENICHI 1955年静岡県生まれ。1979年京都大学理学部卒業。佐賀医科大学助教授を経て、国立科学博物館に赴任。現在、副館長兼人類研究部長、日本人類学会会長。
専門は古代の人骨のDNAを解析し人類の進化やルーツを探る分子人類学。
日本や周辺諸国の古人骨DNA解析を進めて、日本人の起源を追求しているほか、スペインによる征服以前のアンデス先住民のDNA研究から、彼らの系統と社会構造について研究している。
著書に『日本人になった祖先たち』(NHKブックス)、『DNAで語る 日本人起源論』(岩波現代全書)、『江戸の骨は語るー甦った宣教師シドッチのDNAー』(岩波書店)。

人類進化のシナリオの変化
旧人類と現生人類の違いとは?

山極2018年3月から6月にかけて開催された特別展「人体―神秘への挑戦―」はたいへん盛況だったそうですね。
篠田おかげさまで50万人近い方にご来場いただきました。人体の最先端の研究だけでなく、そこに至る探求の歴史と功績という2つの軸を通して、人体研究の今昔を紹介しました。
山極人体の神秘や人類の起源は、いつの世も我々の探求心を刺激してやまないテーマです。分子人類学はDNAを解析して人類の進化やルーツを探る分野ですが、DNAの解析技術が飛躍的に進歩して高精度な情報が得られるようになり、人類進化のシナリオもずいぶん変わってきました。
篠田21世紀に入り、原人がそれぞれの地域の現代人に移行したとする「多地域進化説」から、現在の人類はすべてアフリカで生まれて全世界に広がったとする「新人のアフリカ起源説」へと学説が覆りました。
2010年以降は、ネアンデルタール人などの旧人類と現生人類との間に、これまで言われていたような深い断絶はなく、実はかなりの交わりがあったことが明らかになってきました。現生人類の遺伝子にはネアンデルタール人のDNAが含まれていることがわかっています。
山極ネアンデルタール人とホモ・サピエンスには交流があったとして、両者の暮らしや性格にはどんな違いがあったのでしょうか。
篠田まさにそれが、どのように共存していたかを知る鍵なのですが、遺伝子情報は、単に人類進化の順番を提示してくれるにすぎません。
山極では、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人などに比べて優れていた点は?
篠田ネアンデルタール人の1~2体についてはゲノム情報がすべて解明されており、ネアンデルタール人特有のゲノム配列が見つかっています。また、脳で発現する遺伝子や言語に関する遺伝子の違いも発見されています。でも、その違いが意味するところはわからないんです。
両者の優劣、暮らし、性格の解明には、分子人類学以外の学問分野によるアプローチが必要かもしれません。

日本がたどってきた道筋を知ることは
日本の未来を考えるヒントに

山極篠田さんのご専門である日本人の起源についても、大陸や朝鮮半島から渡来人(弥生人)が押し寄せ、先住民(縄文人)を圧倒したという単純なストーリーではない、ということですね。
篠田はい。弥生人の渡来前から縄文人も朝鮮半島と交流したりしていて、ある時期から渡来人が数多くやってきた、という見方をするべきだと思います。
山極何度も渡ってきた?
篠田何度もというよりは、何百年という長い時間軸で人が出入りする時代が続いたのでしょう。今後、"点"ではなく"面"で捉え直すことで、もっと多くのことが見えてくるはずです。
現代人の生き方、社会のありようというのは、農耕の始まりが起点であり、特に日本の場合、弥生時代から古墳時代にかけての道筋、風習や伝統が、今の" 日本人・日本国" に反映されていると考えています。このあたりの変化を丁寧に見ていけば、日本人が過去に体験したことを再現できるはずです。新しく入ってきた人たちを受け入れてここまできたわけで、日本がたどってきた道を知ることは、これから人口が減り、外国人がどんどん入ってくるボーダーレス社会に向かう日本の未来を考えるヒントになるのではないでしょうか。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンス
その差は"社会力"と"ストーリーをつくる力"

山極ホモ・サピエンスは遺伝的多様性が低いものの、体格や肌色など形態は多様です。それは生息域の広さが関係していると思いますが、では、なぜホモ・サピエンスは、旧人類が到達しなかった地域へ行くことができたのか。私なりに解釈していることがあります。
篠田それは何でしょうか。
山極現生人類とネアンデルタール人の決定的な違いは "社会力"だったと思います。集団をつくり変えたり、集団をつなぎ合わせたり、あるいは個人が集団を渡り歩いたり。これはゴリラにはない能力です。
というのは、ネアンデルタール人にも舌骨があって、ある程度の言語は話せたようですが、現生人類の言語とは決定的に違ったはずです。言語能力の差はコミュニケーション能力、ひいては社会力に大きな影響を与えます。
篠田山極先生らしい視点ですね。
山極もう一つ必要だったのは、"ストーリーをつくる能力"です。向こうに見える島にはもっといいことが待っているかもしれない、船をつくって渡ってみよう。未来への夢、あるいは現実を乗り越えるための虚構を描き、皆で共有して、実現に向けて協力する。そうした能力がなければ、旧人類とは違うことができなかったはずです。
篠田そうかもしれません。今のお話を聞いて、「ダンバー数」を思い出しました。
人類学者のロビン・ダンバーが、友達やうまくいく集団の人数は150 人までと提唱した説です。大脳新皮質の割合と群れの構成数に相関関係があるという仮説に基づくそうで、ホモ・サピエンスは150人ですが、猿人だとせいぜい50人くらいと言われています。
その論でいくと、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の脳の容積はほぼ同じなので、同じようなコミュニティがあってもいいように思いますが。
山極150人くらいだと、言語が未発達でも身体を使ったコミュニケーションが可能だと思います。言葉が重要な働きをするのは、150人以上の集団ではないでしょうか。
それに、狩猟採集生活の頃は食糧確保の問題から、集団を拡大することは難しかったけれど、農耕牧畜が始まったことで、何百人という集団を組めるようになったとも考えられます。
篠田なるほど。私はゲノムを通して人類の集団がどのように成立したかについて研究していますが、その中で見えてくるのは、人と人はよくつながっている、ということです。アフリカから出て行った人類が離合集散しながら、いろいろに交じり合いながら今の人類に受け継がれています。
山極結局のところ、人間はつながりに対する希求を持っている、ということでしょうね。現在はどんどんとバーチャルなつながりに向かっていますが、もっと身体を通じたつながりを持てるような仕掛けも、これからは必要なのだと思います。
篠田身体的なつながりによって得られる満足感、充実感、あるいは生きる喜びといったことは、AIには理解できないことでしょうしね。

生命を操作する未来に向けて
今の私たちにできること

山極先日、ユヴァル・ノア・ハラルの書いた世界的ベストセラー『サピエンス全史』の続編にあたる『ホモ・デウス』を読みましたが、なかなか衝撃的でした。
人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で、将来、科学技術の発展によって"神のような"存在「ホモ・デウス」になる、と。遺伝子工学などによる生命エンジニアリング、サイボーグ化も含めた無機生命体化によって、不死あるいは永遠の身体を手に入れることができると述べています。
篠田医療というのは人体の苦しみや悩みを取り除く"治療"技術を進歩させてきました。しかし、今後の最先端技術は"改良"という方向に向かうでしょう。
山極ゲノム解析が進むことで、人間を"情報の集積"だと考えるようになれば、"改良"はもちろん、生命をつくることも可能だという話になる。
篠田私は、人間は人間のことをそれほど理解できているわけではなく、遺伝子編集もそう簡単ではないと考えていますが、必ず技術は進歩していきます。当然、人間が生命を操作できることを危険とするネガティブな捉え方がある一方で、問題はこの流れがマジョリティになるかどうか、です。
そうした未来に対し、今、私たちができるのは、人間とは何かをしっかり見極めることだと思います。

若手研究者たちへ
自らの人生を20年単位で考えよう

山極博物館は大学とは違って、一般のビジターが対象であるという点で、博物館研究者は大学研究者とは違う資質が必要ではないでしょうか。
篠田多種多様な社会の人たちと接点を持ち得る博物館研究者にとって、もっとも必要なのが「プレゼン能力」です。昔よく言われた「博物館行き」という言葉には、古くて役に立たないものは博物館に押し込んでおこうという認識が込められていて、博物館には「展示なんかせず、一生好きな蝶々だけを集める」という研究者も多くいたものです。
でも、ここ10 年の間にその傾向は大きく変わってきました。我々国立の博物館も、大学と同じように自己資金を持つことが求められるようになり、存続のために、社会の中で博物館の果たすべき役割、必要性などをアピールしなければなりません。
一方で、未来に残すべき資料の収集・保管も、やはり博物館のコアにあるべき部分。両面を大切にしながら、博物館研究者をどう育てるかが課題となっています。
山極現在、かつてたくさん出版されていた科学雑誌がなくなり、科学など最先端の学術を、年齢も職業もさまざまな一般の人たちに、わかりやすく教える人材も技術も不足しています。
博物館は、キュレーターだけではなくコミュニケーターやエデュケーターを育てる場所であってほしいと思います。
篠田その必要性は感じますね。
ところで、博物館の特別展を企画する際、来館者アンケートに基づけば一定数の来場を見込めます。でも、それでは博物館による情報発信とは言えません。自分たちが見せたいものを、興味を持って見てもらえるようにするためにどんな工夫が必要か? それを考えることが重要です。
AI によって次のトレンドがはじき出される社会はつまらない。AI の発展や効率の追求によって、社会全体が逆に狭く貧しくなり、皆の考え方が似て、かえって人間の可能性をつぶしてしまう気がします。
ですから、私たちはオリジナルな視点を大事にしたい。そのためには、研究者を"ほうっておく"ことも必要なのだと思います。
山極もっともらしい演出ではなく、おもしろさや驚きが仕込まれていることで、見る人の理解が進むのでしょうね。
篠田根本のところでは、研究者自身がおもしろいと思っていないといけません。
山極最近の研究者が、論文になりやすいテーマを選ぶ傾向にあるのも問題だと思います。
篠田おっしゃる通りです。論文にするために効率の良さを重視し、インパクトファクターを追い求めてしまう。
山極自分の人生を賭けるくらいの気持ちでチャレンジしてほしいですね。
篠田我々の世代とは違い、今の若手研究者たちは、短期間で業績をあげることが求められるなどプレッシャーがかかっていて、たいへんさもよくわかります。でも、自らの研究者人生ですから、長い目で捉えてほしいと思います。
京大生時代、数学者の森毅先生にお話を伺った際、「人生を20 年単位で考えなさい」と言われたことがあります。20 年かけて研究者としての素地をつくり、次の20 年で自分の研究成果を世に問い、そして次の20 年、若い人たちにバトンをつないでいく。
当時は意味するところがわかりませんでしたが、今の年齢になってみると、非常に味わい深い言葉です。受け売りにはなりますが、若い人にこの言葉を贈りたいですね。

人材の多様性こそ京大のおもしろさ
"京大らしさ"を失わないでほしい

山極篠田さんは私と同じ京大理学部のご出身ですが、京大で学んだことは、ご自身の人生にとってどのように役立っていますか。
篠田京大は実に人の多様性に富んでいました。みんな"変人"でしたが。混沌としていて、「全員でこちらに行きましょう」とは言われない場所で4年間を過ごせたのは、本当に貴重でした。
日頃から碁を打ってばかりで、研究室とは思えない雰囲気なのに、やる時は一生懸命やる。きちんとやるべきことさえやれば、あとは好きなことができる。これこそが自由だ、と思ったものです。
山極では最後に、今後、京都大学に期待することはありますか。
篠田国というのは、秩序だけで成り立っているわけではありません。秩序の周辺にある多様な世界が国の発展を支えています。東京大学が官僚養成という使命を果たす一方で、そうした周囲の多様性を保つ役割を果たし、日本という国の幅を広げてきたのが、京都大学だと思っています。
京大のアイデンティティがなくなることは、日本という国を痩せさせてしまうことです。国からの交付金が減る中でも、自己資金の拡充に努めて、京大が京大らしくあるために努力することは、京大の責任でもあると思います。それくらいの影響力がある大学だという自覚と自負を持ってほしいですね。
山極非常にうれしく、かつ重みのある言葉をありがとうございました。

中世人や近世人の模型を眺めながら

(対談日:2018年7月)

■ 国立科学博物館 ■
1877(明治10)年創立の140年以上の歴史を持つ、自然史・科学技術史に関する国立唯一の総合科学博物館。460万点を超える貴重なコレクションを有する。
展示は「日本館」と「地球館」の2つからなる。「日本館」では、忠犬ハチ公や南極観測犬ジロのはく製を見ることができる。「地球館」では、世界でもっとも保存状態が良いと言われるトリケラトプスの実物化石標本や、大型の哺乳類や鳥類のはく製が数多く展示されている。また、物理や化学の実験、自然観察会などのイベントも多数開催している。