Vol.15 対談

西園寺 裕夫さん

SAIONJI HIROO 1949年生まれ。1971年学習院大学経済学部卒業、1973年ミシガン州立大学大学院修了(経営学修士)。1973~1986年日本精工株式会社海外本部に勤務。 1988年米国非営利法人May Peace Prevailon Earth理事長(国連広報局NGO)、1999年公益財団法人五井平和財団理事長に就任。
2008年インドの「聖シュリー・ニャーネシュワラー世界平和賞」を受賞。
2010年文部科学大臣より「社会教育功労者」の表彰を受ける。
2008年から2017年まで日本ユネスコ国内委員会委員を務める。

教育の大切さを実感する公望が
京都大学創立に込めた思い

山極京都大学は1897(明治30)年に創立されました。東京帝国大学に次ぐ第2 の帝国大学を京都に誘致したのが、当時、文部大臣だった西園寺公望公でした。公望公は若い頃から私塾を開くなど、"教育"に対する強い思いがあったようですね。
西園寺私塾を開いていたのは公望が20 歳の時、ちょうど明治維新直後であり、「国づくりは人づくり」と感じていたようです。京都大学創立については、公望の教育に対する思いがさらに強くなっていたことの結果でしょう。
公望は21 歳から10 年間フランスに留学、その後もオーストリア公使、ドイツ公使を歴任した経験から、国際協調をつねに意識しており、当時としては珍しかったであろう「自由主義・国際主義・平和主義」という理念を持っていました。しかし、日清戦争(1894 ~ 1895 年)に勝利して次第に軍国主義が色濃くなり、自ら望まない方向に世の中が向かいつつありました。
1895 年に、公望は次のような趣旨の文章をある雑誌に寄せています。「日清戦争の結果により他の国民から注目を浴びることになったが、より尊敬される国民になりたいならば、国際情勢に注目し、世界の文明と協調して国運を長く前進させることを図らねばならない」、と。
また、公望は文部大臣の時に、井上毅らがつくった教育勅語があまりに国家主義的として、「科学技術の振興」、「外国語教育による国際人の育成」、「平等な教育の実現」の3つの柱を入れ込んだ、よりリベラルな第二教育勅語を提案しました。結局、成案されることはありませんでしたが、時代の中で、公望は教育の大切さ、リベラルな価値観を持つ若者を育てる重要性をひしひしと感じていた。京都大学創立にあたっては、そうした切実な思いがあったのでしょう。
山極京大の自由の学風もまた、官僚養成のための東京帝大とは違い、自由な学問の場をつくろうとした公望公の構想が原点です。
西園寺公家の堅苦しい生活に息苦しさや反発を感じていた公望は、フランス留学により、自由の大切さを実感したからでしょう。
ところで、京大の基本理念を拝見して、非常にすばらしいものだと思いました。なかでも、研究について「文科系と理科系の研究の多様な発展と統合をはかる」という言葉があり、文理融合というのでしょうか、京大の特徴であると感じます。
山極おっしゃる通りです。日本の帝国大学は西欧の大学とは違い、理系中心に設立されてきたのですが、一方で、京大には西田幾多郎を中心とする哲学の伝統があります。
西田は1910年から京大で教鞭をとるようになり、さまざまな分野の人たちに影響を与えました。私の恩師の恩師である今西錦司先生、湯川秀樹博士などもそうです。
科学技術は排中律、つまり、ある命題について真か偽かいずれかであり、中間の可能性を排除する思考法に従っており、デジタル技術もすべて0か1かで構築されています。そのような西洋哲学の伝統に対して「ちょっと待てよ」と、近代科学の客観的思考から距離を置いて見るのが西田哲学。すべてを分類せず、是か非かに分けない。この精神は大きく文理融合に結びつくものだと考えています。

「調和ある共存」を目指す
京大の理念の意義は大きい

山極五井平和財団は、2006年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)との公式関係を有する財団として認定されているそうですが、どんな活動をされているのでしょうか。
西園寺大きな柱の一つが青少年教育であり、中心となるのがESD(持続可能な開発のための教育:Education for Sustainable Development)、持続可能な社会を構築する担い手を育む教育です。国連決議により、ユネスコを主導機関とした世界的なESDの取り組みが進められ、当財団の活動も認定されています。
山極 Sustainable Development については、1970年代頃から各国で取り組まれてきたものの、いまだに確立されていません。プラネタリー・バウンダリーの9つの限界点のうち4つが超えてしまい、地球環境がいよいよ危機に瀕している今、そうした教育の意義は大きいですね。
西園寺マイクロプラスチックの海洋汚染など深刻な問題が目の前にあり、地球の寿命について悲観的な見方もありますし、我々はもっと真実に目を向ける必要があるでしょう。自分の時代は大丈夫と思っている人たちも多いでしょうが、世代間の不公平を起こさないよう、我々には次世代に対する責任があります。ESDもそうした考えをもとにした活動の一つです。
山極 Sustainability(持続可能性)の条件は、地球をそのままの価値で未来に引き継ぐことなのに、科学技術は、今の人間の体では地球には住めなくなることを見越した開発に向かおうとしています。
西園寺京大の基本理念に「地球社会の調和ある共存に貢献する」と謳われていますが、今の時代、とても大切なことです。
従来、科学技術は人間社会をより住みやすい便利なものするためのツールであったけれど、今後も科学技術はそういう目的であり続けるのか、科学の目的は何か。基本に戻って考えてみる必要がある今、「調和ある共存のために統合的な科学で立ち向かう」という京大の姿勢は意味あるものだと思います。

多様性を守ることが持続可能性につながる

西園寺 Sustainabilityや科学技術のあり方を考えるうえで、自然や生き物に学ぶことは有効です。山極先生のゴリラ研究においても、人間が学ぶべきことが多いのではないでしょうか。さまざまな生命が生きるこの地球自体が一つの大きな生命体であり、人間だけが好き勝手するのではなく、共存する方法を考えていかなければなりません。
山極私は動物学者だからとりわけそう思います。地球の陸地上にいる哺乳類の9割以上が家畜という驚くべき現状は、人間と、人間がつくった家畜で地球の資源を食い尽くしてきた結果です。これまで、技術によって人間優位の世界をつくってきたけれど、ほかの生命を生かすことが人間の幸福につながるという視点での技術開発へ、転換を図ることが急がれます。
西園寺 Sustainabilityと多様性には相関関係があって、人類も多様性があったから生き残ってこられた。多様性を確保すること、多様性を受け入れられる社会であることが、人間の存続、そして地球の持続可能性に関わります。
山極日本人の起源について、ゲノム研究が進むにつれ、従来の大陸からの渡来人(弥生人)が先住民(縄文人)を圧倒したというストーリーではなく、弥生人と縄文人には交流があり、互いに交じり合い、縄文人の文化が弥生人の文化にも取り込まれていることがわかってきました。征服ではなく、融合の歴史なのです。中国大陸や中央アジアでも、文化の融合が起こっている。決して相容れない、ということはない。融合によって多様性は生まれてきたはずです。

違いを理解し尊重することで多様性を受け入れ、
コミュニケーションが生まれる

西園寺当財団の基本理念である「生命憲章」の中で、4つの原則の1つとして「すべての違いの尊重」を掲げています。これは、多様性を受け入れるために必要なことです。
山極「おもろチャレンジ」という体験型海外渡航支援制度に採用されたある男子学生が、こう話していました。「異文化共生とは、異文化を理解することだと思っていたが、海外に行き、理解したのは"文化は違う"ということだった。文化は違うと理解すること、これが異文化理解だとわかった」。思わず膝を打ちました。違う文化を完全に理解することは難しく、文化が違うということから出発しないと、受け入れることもコミュニケーションもできないでしょう。
西園寺その通りですね。すべて違うことを認め、そのうえで違いを尊重する。さらには、違いを楽しめる社会をつくるべきだと考えています。人間がみんなAI みたいな社会になったら、おもしろくないですから。
山極 AIをはじめとするコンピュータサイエンスの進化は、人間同士のつながりを広げ、幸福な社会に貢献するはずですが、逆に、個の尊厳、そして違いをなくすことにつながってしまいかねません。アメリカなどでは失敗していますが、AIによる人物評価や期待値評価などは、人間の画一化をもたらし格差を広げます。
西園寺私もAIの進歩については懸念しています。物理的な問題として、AIによって多くの人の職が奪われるということ。もう一つ、AIの高度化によって、人間がコントロールできない状況がつくり出される危険性があるのではないか、ということです。
技術の発展は、倫理観や価値観を持った人間がコントロールできることを前提としたものでなければなりません。科学の目的にも共通することですが、AIはツールに過ぎない。結局、それをきちんとコントロールできる人間を育てる教育の大切さ、という話につながります。
山極加えて、ICT(情報通信技術)の進化は、コミュニケーション能力にも影響を与えます。受け身で成り立ちますから。自ら積極的に話しかけられずに友人ができないという学生が増えています。
本来、対話とは生きたものであって、言葉だけでなく表情や身振り手振りから感情を読み取り、誤解があれば解くために言葉を尽くす。生のコミュニケーションは高度で、努力を要するものです。まして母国語以外の言語で対話する場合は、言語以外の手がかりを見逃してはいけない。私もアフリカでそうした経験をしてきましたが、そのほうが心が通じ合ったりしたものです。
西園寺山極先生はゴリラとも交流されている。言葉だけでなく種すら超えたコミュニケーションですね。
山極はい(笑)。実はゴリラやサルと違って、人間だけに白目があるのですが、この白目が実に正直に感情を表します。言葉以上の情報を目の動き、表情から受け取ることで、人間はコミュニケーション能力を磨いてきたのです。

設立に込められた思いを大切に
京大にしかできない教育を

西園寺 戦争には絶対反対だった公望は、太平洋戦争前年の1940年に亡くなりました。「この国をどこにもっていくのか」と嘆いていたそうです。「日本は強い国ではなく、敬意を表される国になるべきだ」という言葉は、非常に重みがあり現代にも通じます。健全な国にするには健全な国民が増えなければならず、やはりここでも教育が重要だという話になるでしょう。
山極おっしゃる通りです。私がもう一つ大切だと思うのは、自国に対する「誇り」を持つことです。政治家も産業界も「日本は遅れている」という意識が強すぎます。
教育についても同様に言われ、結果、大学に対して一律の制度改革が推し進められてきました。教育にこそ多様性が重んじられるべきなのに、です。
西園寺 でも、京大からは、ハウツー的な教育ではなく、基礎を大事にして目先の結果にとらわれず、長い目で教育・研究に取り組む、という気概がうかがえます。
山極うれしいお言葉です。目まぐるしい世界の変化を見越し、一歩も二歩も先を読む能力、未来を創造する能力を持った人材を育成する。その京大の使命を果たすには、既存の教科書や講義で学ぶだけではダメ。京大にしかできない教育・研究をしないと。そのためにも、教員は切磋琢磨する必要があります。
西園寺先生方もつねに勉強をし、自ら向上させる努力をしないと、そういう教え方ができないということですね。
山極ええ。現在は大学の教育の仕方も変わってきて、家にいてもインターネットによって、世界の有名な科学者の講義を受けることができます。でも、そこに対話はありません。教員や仲間と議論し、自分の考えを紡ぎ、新しいことに挑戦していく。そういう場面を経験することが大学の良さです。
一方、大学だけがキャンパスではないというのも事実。学生にはどんどん世界に出て行き、いろんな経験と失敗を積み重ねることで自らを鍛えていってほしいと思います。
では最後に、125 周年を迎える本学に向けてメッセージをお願いします。
西園寺大学は「何に向けて学ぶのか」という方向性が大事だと思いますが、京大はしっかりと基本理念に示されています。その方向を見失わずに進んでいただきたい。
人間にはもちろん私心(わたくしごころ)がある一方で、公のために何かをしなければならないという気持ちも持っています。そのバランスが重要ですが、京大にはぜひ後者の気持ちの強い、器の大きな人たち、「調和ある共存に貢献できる」人たちを育ててほしいと切に願います。
そして、公望が京大創立に込めた「自由主義・国際主義・平和主義」という原点である思いを大切にしてください。
山極公望公が生まれてから100年後、裕夫さんが生まれた年でもある1949年は、湯川博士がノーベル物理学賞を受賞し、私が会長を務める日本学術会議が設立されました。何か深いご縁がある気がします。公望公の精神を日本学術界全体に広めつつ、裕夫さんの平和への強い思いを尊重し、日本人として初めてのノーベル賞受賞者が京大から生まれたという誇りを忘れず、京大125年の伝統を継承しつつ、その先の飛躍へと力を尽くしたいと思います。今日はありがとうございました。



(対談日:2019年5月)